独裁者がスタジアムを欲しがるのはサッカーのためだけではない
そしてスタジアムは、国民の娯楽だけでなく、独裁者の権力を誇示する場としても非常に大きな力を発揮する。ヒトラー政権下で開催された36年のベルリン・オリンピックの記録映画や、北朝鮮のマスゲームを見れば明らかだろう。
かつて、世界最大のスタジアムといえばブラジル・リオデジャネイロの旧マラカナン・スタジアムで、最高20万人の収容人数を誇った(1950年のワールドカップ決勝では立ち見も含めて30万人を収容したともいわれる)が、改築後の現在のスタジアムは8万人のキャパシティ。代わって世界一の座に躍り出たのは、北朝鮮のマスゲームがおこなわれる「綾羅島5月1日競技場」だ。
マラカナン・スタジアムの巨大さの背景にはブラジル国民のサッカー熱があるはずだが、綾羅島5月1日競技場は北朝鮮の経済力を象徴しているわけでもない。北朝鮮に世界最大のスタジアムが存在する理由は、それだけの巨大さを求める独裁権力がそこに存在しているからにほかならない。
そして、独裁者の権力がスタジアムにおいて発揮されるのはオリンピックなどの“ハレの日”だけではないのだ。
ワールドカップ決勝のスタジアムでおこなわれた大量虐殺
ワールドカップ開催から11年後、73年にチリで左派・アジェンデ政権をクーデターで倒したアウグスト・ピノチェト将軍(のちに大統領)は戒厳令を敷き、アジェンデ政権を支持してきた左派の活動家を首都・サンチャゴの国立競技場に連行して虐殺したのである。ワールドカップの決勝戦がおこなわれたスタジアムだ。
虐殺されたなかには、チリの国民的フォーク・シンガーでアジェンデ政権を支持してきたヴィクトル・ハラも含まれていた。彼の『平和に生きる権利(El derecho de vivir en paz)』は今日でも世界中の多くの若者に愛されているメッセージソングだ。
ほかのアジェンデ政権支持者たちとともにスタジアムに連行されたハラは、そこで仲間を励ますためにアジェンデ政権のテーマソングであった革命歌『ベンセレーモス(Venceremos)』を唄った。すぐにギターを取り上げられ「二度とギターを弾けないように」と銃で両掌を撃ち砕かれたが、それでも歌い続けたために射殺されたという“伝説”が残っている。
のちに公表された現場の写真を見ると、連行された人々は後ろ手に縛られていて、ハラがギターを弾いたという点には疑問が残るが、彼がスタジアムで虐殺されたことは間違いない。そして、クーデター後、最初の1日で確認された死体は2700体に上るといわれている。
つまり、スタジアムというのは権力者にとって利用価値の高いインフラ設備ということだ。そして、アフリカにおける中国からの支援が水力発電と鉄道建設に集中していて、その両者の間にはローテクを基盤としている共通点があるが、スタジアム建設も同様だ。