「1年目は、ただひたむきにまわっていましたね。でも相手は、会っても会っても話すらきいてくれない。ところが、そのうちに『上がってお茶でも飲んでけ』になって、やがて真剣に提案を聞いてくれるようになりました。その上で条件を詰めてやっていくまでに、1年以上かかったということです。その感触が、新人だからまったくつかめなかった」

佐々木たちの仕事は、基本的には「土地という資産を有効利用するお手伝い」であり、きわめて洗練された提案書づくりがベースとなる。しかし、その入り口はビジネスとは縁遠い地主の心をこじ開けることであり、当然のごとく泥臭い。

「昼間はみんな畑にいるわけですから、僕もそこへついていき話をします。相手が一生懸命農作業をしていたら、自然とそれを手伝うようになるわけです。もちろん背広のまま、靴を泥まみれにしてね。そういうところで、何か通じるものが出てくると思うんですよ」


08年10月31日の開業式。ご当地球団・茨城ゴールデンゴールズを率いるタレントの萩本欽一さんがテープカットを。

佐々木の人たらしの才は、営業の最前線で奮闘することで磨かれていった。土浦の出張所から水戸にあった茨城支店へ異動するときは、担当していた地主から所長の前ではっきりいわれたという。

「所長、俺は佐々木さんだからお願いする気になったんだ。後任を連れてきても、やらないよ」

「涙が出るほどうれしかった」と佐々木はいう。

結局、佐々木は茨城県内で15年間も営業マン生活を送ることになる。また、その間に水戸の女性と結婚しているので、茨城は彼にとって「地元」でもある。

イーアスつくばの周辺には、三井不動産の「LALAガーデンつくば」、西武百貨店を核店舗とする「つくばクレオスクエア」などのSCが集結する。イーアスの開業でこれら周辺SCは集客力に陰りが見え始めた。LALAガーデンでは半年前に退去したテナントの穴が埋まっていないなど、深刻な影響が見てとれる。だが佐々木はこう断言する。

「僕としては、一人勝ちすればいいとは思っていません。ある意味では、大和ハウスなんかどうでもいいんです。クレオやLALAガーデンと戦って勝つということではなくて、地元つくばの商業集積に周辺からもお客さんがどんどん集まってくる。そういうことに一役買わなくちゃならないと思っています」

いかにも佐々木らしい、心に突き刺さる殺し文句である。(文中敬称略)

(永井 浩=撮影)