このとき抱いた素朴な「違和感」を、彼女は『偏路』の中でこう描いている。女優になるという夢を諦めようとし、しかし内心では諦め切ることができない主人公・若月が言うのだ。

〈……これがこの人達の、日常、なんだなって思った瞬間に……一瞬めまいがして……こう、サティの商品の棚がどこまでも続くから、それで、永遠にこんな感じって感覚がぶわって体の中に入って来ちゃって……〉

本谷氏の実家のほど近くにあるショッピングセンター「APITA」にて(写真右)。「自分をみんなが知っているという環境が苦手でした。DNA的にここにはいられないという思いがあって、東京へ出たのかもしれません」(本谷氏)。「ながみち」(写真左)をまっすぐ進むと通っていた小学校(次ページ掲載)がある。

高校時代、演劇部に所属していた本谷は卒業と同時に上京した。そして演劇専門学校に通うが、「演技をしていると見え方をどうしても気にしちゃう。作為的な自分に小賢しさを感じて、恥ずかしくなってくるんです」と女優になることを諦める。一方、卒業公演で書いた台本を講師の松尾スズキに褒められ、決意したのが演出家・作家になることだった。

「演出は建築の設計図を作るようなもの。それを恥ずかしがる設計士なんていないですよね。作為的なことを堂々としてもいいことが、私にとって演出やモノを書くことだったんです」