「たまたま北方謙三さんの『三国志』を読み始めた。武将に文官に商人。登場人物が何十人もいて、俺みたいな奴もいる。でも、すぐ死ぬ(笑)。処世術がまるでダメだったんです」

まさに知恵の宝庫だった。春秋・戦国、殷周の時代まで遡り、史書を読み漁った。非力なマイノリティが知恵を絞り、勝ち進む姿に勇気づけられ、徒手空拳で会社を立ち上げた。


(左)「松田優作20年の曳航 不在証明」(2009年12月)にて朗読を行う。「若くして亡くなったけど、すごく太い人生だったと思う」と憧れを語った。(中)「同じ44歳でモンゴル帝国を統一したチンギス・ハーン」の肖像と。(右)事務所の本棚に並ぶのは中国古典が中心。「日本で出ている三国志は全部読んだと思う。三国志はそれまでの中国史の集大成、つまりベストアルバムですよね」。

「利益が出るようになるのに6、7年かかりましたよ。でも、全然仲良くなかったのに助けてくれる人がいたし、親や愛する人から無償の援助ももらった。恨みは一時は戦力になるけど、愛情ほど大きな力にはならない。だから捨てなきゃと思いました」

ここ数年、王道と路地裏の意味が少しわかるようになったという。自分がカッコいいと思ったものは世の中には支持されない。中国古典が縁で付き合いの深まった北方謙三氏にも叱られた。

2009年、デビュー25周年記念ツアーを開催。そのファイナル、10年2月6日の武道館公演にて。

「意地悪く言うんですよ、あのオヤジ(笑)。『おまえ、アルバムの中にいつもオナニーの曲が3つぐらいあるよな。あれがいいと思ってるだろ?』。確かにそうなんです。『ああいうのを入れてる間はガキだな。普遍性がいかに大事か考えろ。ハイ、ザンネーン!』。これ、凄く正しい」

いままでそんなこともわからなかったのか、と自分にがっかりもした。

「時間はかかりましたよ。でも、手遅れってことはない。いろんな経験や挫折が愚かさを削っていってくれる」

普遍性との葛藤は、つくり手の永遠のテーマ。それに背を向けて痛い目にもあった。ただ、それでも「カッコつけようぜ!」と見得を切る。

「生涯一歌手でいたい。映画も舞台も音符の肥やしです。俺みたいなタイプは、死ぬまで幻想と妄想の中を走りゃいい。夢見て生きていけるんだぜ! みたいなものを、エンターテインメントとして伝えるのが仕事。40代半ばなのに、まあ、バカだって思われたいんですよ。あ、やっぱりバカだった、って書いといてください」(文中敬称略)

(川井 聡=撮影)