【弘兼】そのままスポーツショップで働くつもりはありました?

【森田】そろそろ社員にならないかと誘われました、ただ、自分がそこで働き続けることにしっくりとこなかった。それで次のアルバイト先を探していたところ、派遣会社が見つかりました。しかし、受けてみると見事に落ちた。仕方がないのでそこの会社で派遣登録をしたところ、ネットビレッジ(現fonfun)という会社を紹介されました。

【弘兼】携帯向けモバイルコンテンツを開発する会社ですね。

【森田】はい。そのときは業種がどうのこうのよりもお金が稼げればよかった。スポーツショップの時給が800円、ネットビレッジは1250円だったんです。

【弘兼】それが2000年のこと。

【森田】当時、ネットビレッジは携帯電話で使用する「iモード」のサービスをやっていました。僕はそのサービスに直接関わったのではなく、派遣社員として上場準備室という、総務にあたる部署に配属されていました。そのうちに「森田君、違うことをやってみようか」みたいな感じで、3カ月後に正社員となり、広告宣伝をやることになった。その後は、Webメールサービスを構築するためのディレクションをしたり、営業をしたりしました。それらを5年ほど続けた後に、エンターテインメント事業を担当するようになりました。

【弘兼】ようやく、今の仕事に繋がりますね。

【森田】それも自分がやりたいと志願したのではありませんでした。やる人がいなくてやれという感じで、僕一人でやっていたんです。

【弘兼】そして、今のミクシィに転職したのが08年。これはヘッドハンティングだったのですか?

【森田】いえ、違います。元同僚がミクシィに転職して「ちょっと遊びにおいで」という話になったんです。実はそれが面接でした。そして受かってしまった(笑)。

【弘兼】転職する気はなかった?

【森田】前の会社では1年ごとに担当が変わっていて、それなりに経験を積んでいました。8年勤めていたので、そろそろキャリアチェンジをしてもいいかなとは思っていました。

【弘兼】森田さんが入った頃は、SNSの「mixi」が絶好調でした。

【森田】僕の社員番号は「355」番でしたから、すでに辞めていった人間も含めて、200~300人の会社だったはずです。売り上げは年間100億近くありました。

発売から2年半で利用者数3500万人突破

【弘兼】前職のエンターテインメント、つまりゲーム開発をミクシィでもやろうと考えていたんですか?

【森田】当時、mixiは2000万人以上のユーザーを抱えていました。このユーザーをプラットフォームとして、第三者に開放することでビジネスになるのではないかと。それが「mixiアプリ」でした。任天堂が作ったゲーム機をプラットフォームとして、他社がゲームソフトを開発しているのと似ています。

【弘兼】ゲームの仕事というのが、私らの世代にはわかりにくい。具体的な仕事というのは?

【森田】簡単に言うと、ゲーム制作のための、「ヒト・モノ・カネ」を集めることです。プロデューサーというとわかりやすいかもしれません。