僕の反省! 安易にゼロリスクを掲げず合理的な安全基準を示すべき

僕が今回、痛感したのは、安全・安心のレベルというのは、やはり安易にゼロリスクを目指して厳しすぎる目標を設定してはいけないということだ。

安全性のために大きく余裕を持たせた目標だとしても、ひとたび目標に設定されると、それ自体が絶対化してしまう。そしてそれに違反すると大騒ぎになる。やはり安全・安心レベルは感性ではなく合理的に設定すべきだ。

もし余裕を持たせた目標であるなら、その余裕分をしっかりと説明すべきだ。そして安全というものは住民に納得してもらわないといけない。しかしだからと言って、住民に納得してもらうために安易にゼロリスクの絶対的な安全目標を掲げてしまうと、大きなしっぺ返しをくらう。

「環境基準を達成します!!」というフレーズは住民を納得させるには楽だったのだろう。僕もその立場にあれば、そのような方法を選択していたかもしれない。しかしそれは行政が自らの首を絞めることになる。住民に納得してもらう際には、感性に基づく目標ではなく合理的論理的な目標をきちんと説明すべきだ。そこで住民に疑問を抱かれれば面倒でも時間をかけて説明すべきだ。

福島の除染基準も年間1ミリシーベルトが基準となっているが、そのような目標は住民としては納得しやすい。でもあそこは5ミリシーベルトではダメだったのか。1ミリシーベルトを基準としたことで莫大な除染費用がかかっている。住民の帰還も困難となっている。この1ミリシーベルトの基準に基づく除染作業をやったとしても、福島第1原発の事故でばら撒かれた放射性物質のセシウムで陸に降ったもののうち、2割程度しか管理できないらしい。つまり兆円単位の費用をかけて1ミリシーベルトを基準とする除染を進めたとしても、陸地に降り注いだセシウムの8割は放ったらかしとなる。

それでも1ミリシーベルトを基準にします!! と言えば、住民は納得してくれやすい。あのときは、行政的な観点で5ミリシーベルトが基準になりかけていた。ところが専門家が涙を流して1ミリシーベルトを訴え、当時の環境大臣である細野さんが政治判断で1ミリシーベルトを基準とした。感性に基づく安全基準の設定だったような気がする。

安全基準にについて、「感性」を重視する小池さんの姿勢は間違っている。ただし僕自身も合理性を貫徹し続けたわけではない。僕は大阪市長だった時、東日本大震災の震災がれきを受け入れた。激烈な反対運動にあった。住民を納得させるために、かなり余裕のある安全目標を設定した。その代わり対策費用は高額になった。結局、自分でも楽な道を選んでいる。他人を批判するのは楽なもんだ。

地下空洞のあるなし、地下に水が溜まっているかどうかということではなく、数値こそが客観的な指標として大事である。安全なのか、そうではないのか。安全とはどういうものか。この点を大々的に明らかにした小池さんの移転延期の判断は、都民が、いや全国民が安全・安心をしっかりと考えるきっかけを与えてくれた。そして小池さんは都庁の意思決定の問題や建設費が高騰した経緯など様々な問題点をしっかりと解明していくと誓っている。

小池さんは今、寝る暇もなくフル稼働で都政に全力投球している。その肉体的・精神的しんどさは想像を絶するものがあるだろう。小池さんの全力投球に敬意を表しつつ、それでも報道に表れない事情を僕なりに提供していきたい。

※本稿は、公式メールマガジン《橋下徹の「問題解決の授業」》vol.25のダイジェスト版です。

(撮影=市来朋久)
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