「環境基準オーバー」が何を意味するのか、積極的にアナウンスを!

今は、「環境基準の達成」が絶対的な目標となっている。さらに豊洲が安全でないという風評は全国に強烈に広がっている。今後議論を継続して安全性が確認されたとしても、生鮮食品を扱う上で、この風評を乗り越えられるか。安全性の問題よりも、風評によってもう豊洲は使えなくなるのではないか。

環境基準をオーバーしたことについてこれから検証することは当然だが、この環境基準オーバーの意味を上記のようにしっかりとアナウンスしておかないと、これから事態の混乱は収まらない。

豊洲の地下水は飲むこともなければ利用することもない。ゆえに原則「下水」として扱うべき。したがって下水基準=排出基準=環境基準の10倍が原則的な目標となる。そして建物下の地下水のみ、揮発性ベンゼンやシアン化合物の気化を考慮して、余裕のある環境基準を目標としたが、これも地下水を飲むため、利用するための目標ではない。

この大前提を押さえることが、豊洲問題の解決の鍵だ。小池さんの言うところの「感性」で決める問題ではない。

小池さんは、自らの「移転延期」判断の正当化に、豊洲の安全性の問題を最大限活用している。最初は地下空洞、そして今度は環境基準オーバー。地下空洞については専門家からも合理的だったとの評価が出始めている。次の環境基準オーバーについては、豊洲の地下水は飲まないし、利用することはないので、環境基準を少し上回ったからと言って大騒ぎするものではなく、冷静に検証すべきであることを、本来は小池さんが説明する立場だ。ところが、今の政治状況では小池さんはそのような説明はしない。まあ、それも支持率を上げるための一つの政治判断だけれども。

民主政治はポピュリズムが本質だ。政治家はコメンテーターとは違う。口だけではなく実行してなんぼ。そうすると支持率がなければ実行できないので、時と場合によっては支持率を高める振る舞いが必要になる。そういう意味では今のところ小池さんの政治的振る舞いは大成功だ。しかし、どこかで行政の長として振る舞わなければならない時がくる。それは今後豊洲の安全性が確認された場合に、今度は小池さんがその安全性を説明する立場に立つときだ。

小池さんは、安全性に疑問を呈して自らの移転延期判断を正当化した。しかし次にはその安全性をしっかりと説明する立場に立つ。ゆえに安全性への疑問が広がり過ぎると、安全だと説明することが困難になる。このさじ加減、バランス加減が政治だ。

やはりここまで豊洲問題が混迷してしまい、都民や国民の不安が深刻化してしまった以上、都民や国民に冷静に考えてもらうためには、現築地や東京の大気、土壌、地下水の状況を数値で示して、豊洲の状況を客観的に相対的に見てもらうしかないだろう。