巨大組織で横行「盲目的なハンコ押し」をどう改めるか?

築地市場の豊洲移転問題では、何よりもまず生鮮食品を扱う市場としての安全性が問われているが、同時に都庁内の意思決定のずさんさも問題視されている。

小池百合子東京都知事はこのほど、現役の市場長を更迭した。この市場長は建物下にも盛り土があるものと認識していたが、実際は盛り土がなかった。ということは現状をきちんと把握せずに決裁をしたということで、管理職として責任を問われるのは仕方がない。

しかしここで重要なことは、今回の市場長の処分によって今後小池さんが、とんでもない決裁の負担を負うリスクが生じることだ。そのようなリスクを回避するためにはどうすればいいか。

巨大組織における決裁権者の決裁って、今回の市場長の決裁と似たり寄ったりのところがある。普段はたまたまうまく行っているだけで、決裁権者がすべてを完全に把握して決裁をしているわけではないだろう。すなわち「盲目的なハンコ押し」は世の中で横行しているはずだ。

今回のような問題が生じた時に、管理職=決裁権者がある程度責任を問われるのは仕方がない。しかし、都庁や大阪府庁、大阪市役所のような巨大組織には特有の事情がある。あまりにも仕事の範囲が広すぎ、量が多過ぎて、決裁権者がすべての事情を把握するのは不可能だということだ。僕が知事の時、市長の時も決裁フローを何度も改めた。

僕のところに決裁が上がってくるまでに何十人も決裁をしている。すなわち何十人もハンコを押している。それなのに僕が単純なミスを見つけることもある。僕の前に何十人もの役人が決裁しているのに、彼らはどこを見ているんだ? と言いたくもなる。

さらに僕のところに届く資料も、その事業についてのすべての資料がどーんと来る。それで決裁してくれと。そんな決裁が一日に何十件も来る。ちょっと待ってくれ。これを全部僕が1ページ目からめくって最後まで見なければならなのか? そんなの不可能だ。

現場の一人一人の職員にとっては担当している事案のみに集中すればいい。しかしトップである僕のところには組織全体でそのような事案が何百も上がってくる。そのような状況で、現場の職員が見る資料と同じものを、現場の職員と同じレベルで僕が見るなんて、できるわけがない。一人の職員が1年かけて取り組んでいるそのような資料が、僕のところに何百も上がってきて、その職員と同じように見ることなんてできるわけない。また、トップが現場の職員と同じレベルでチェックする必要もない。

現場の職員が扱っている資料を、そのまま上司に決裁として上げること自体が間違っているんだ。そんなことをやっているから、中身をきちんと確認しない形式的な決裁権者、すなわち盲目的にハンコを押す者がどんどん増える。僕のところに上がって来るまでに何十人もの決裁が行われているのに、たぶんその決裁権者は資料すべてを読み込んでいるわけではないだろう。