なぜ貧困問題は見える化できないのか
著者はこの問題に、次のような疑問を投げかける。
<若者たちの支援活動を行っていると、決まって言われることがある。「怠けているだけではないのか?」「支援を行うことで、本人の甘えを助長してしまうのではないか?」などである。要するに、“若者への支援は本当に必要なのか?”という疑念である。これは若者たちの置かれている現状の厳しさが、いまだに多くの人の間で共有されていないことを端的に表している。>
働けば何とかなる。努力した者が報われる。高度経済成長以降、誰もが経験し、得てきた教えである。しかし、バブル崩壊後、その“神話”も崩壊している。また、家族が支えてくれるというのも神話化した話だ。要は、終身雇用制の中、社宅を完備し、家族や地域が守ってきた社会構造は今や跡形もなくなっているといっていい。その神話に守られて、高額な年金を得て悠々自適の暮らしを送っている人たちは、何も分かっていないというのだ。
また、著者は個人の責任論にすることにも反論する。たとえば、生活保護は個人のだらしない生活に起因するものであり、個人で何とかするものだという風潮がある。しかし、社会構造を変えないかぎり、どうしようもないのだと言う。
確かに、「自助」「共助」「公助」の中で、今の日本に一番欠けているものは「公助」の部分だ。基本的に、自助と共助で乗り切ってきた社会が破たんしているといっていい。まずは国民一人ひとりの意識を変えていかないかぎり、この問題は解決しないのかもしれない。もやもやしていた現代社会の病巣が、“見える化”されたといっていい本である。