例えば、重病であと1週間もたないと言われていた人が、お経から心の支えをもらいながら1年後の娘の結婚式まで永らえ、晴れ姿を目にした数日後に亡くなった。ここに、人智では説明できないお経の不思議な力を感じとるとすれば、それはその人にとって、神秘の力が間違いなく存在しているということです。摩訶不思議な呪文としての『般若心経』に充溢しているエネルギーの源泉はこの神秘の力です。この点が釈迦のオリジナルな仏教である「釈迦の仏教」とのもっとも大きな違いです。
「釈迦の仏教」の場合、外部世界に神秘の力はなく、この世は隅から隅まで論理的因果性で動いています。両者に共通点がないとは言いませんが、神秘力に関して立場はまったく対極です。『般若心経』の注釈書『般若心経秘鍵(ひけん)』を記した、弘法大師(空海)は「『般若心経』は呪文である」と喝破して崇めています。
精神的に不思議な跳躍をもたらす
般若経の中でも最も古い『8千頌(じゅ)般若経』に書かれていることですが、般若経を信じる人にとって一番大事なのは、経文を声に出して読み、書写することです。『般若心経』はそれを端的な形で表現している経典です。さらに「羯諦羯諦(ぎゃていぎゃてい) 波羅羯諦(はらぎゃてい)」という最後のくだりこそが、『般若心経』の心臓部、「呪文の本体」と言っていいでしょう。
『般若心経』を「薬」の「効能書き」と「薬剤」のセットに見たてると、「羯諦羯諦」の呪文は「薬」で、「効能書き」はそこに至るまでの部分です。これは『般若心経』のとても大切な特徴で、このお経を信じれば、一切の憂いを除いてくれて、最高の智慧が得られ、魔除けにもなり、無上の悟りに至ることができる……。1500年前の作者たちも“この世の万能薬”たることをめざして『般若心経』を書き上げたのでしょう。
「ぎゃてい、ぎゃてい」が不思議な響きを持っているのは原典のサンスクリットの読みがそのまま生かされているからです。音が独特ですから、何か特別な感じがして、まさに「呪文」です。こういう呪文のことを真言(マントラ)と言いますが、呪文の効果が失せぬよう真言は漢文に翻訳する場合、意訳せず、音のままで漢字に置き換えることが多いのです。