「羯諦羯諦」の部分にはたいした意味はなく、「行った者よ、行った者よ」と言っている程度です。意味があろうがなかろうが、とにかくこの文言を1日1回でもいいので口に出して唱え、文字にして書くことが大切なのです。それを言葉に出すことで、「今、自分は空の世界というものと触れ合っている」といった、日常では感じることのできない世界へ入るための入り口にいるのです。「開け、ゴマ」と一緒です。「開け」と「ゴマ」をいくら理解しても何の意味もないわけで、それを唱えるときに何かが起こるであろうという精神的な不思議な跳躍を我々にもたらしてくれるところに重要性があります。呪文は、それをいつも心に置いておくことで、自分の心が別の世界に行くためのジャンピングボードの働きをするのです。
では、『般若心経』はいったいどういう世界を、我々に示しているのでしょうか。「般若心経」の「般若」とは「智慧」を意味する言葉です。そしてその般若心経で最も強調されているのは「空」という概念です。
「空」の思想が『般若心経』の核
世の中は、様々に複雑な要因がからみあいながら、常に移り変わっています。そして世の中の変化のすべてを、人間が完全に予測することはできません。例えば気候変動にしても、宇宙や気象のメカニズムからある程度は予想できます。しかしこの先の気候の変化を厳密に予想することはできません。つまり人間は、何がいつどのような形で起きるかを、正確に知ることはできないのです。
古代インドの大乗仏教徒たちは、この不確かな世の中をどうとらえるべきか、様々な考察をめぐらしました。その中から生まれてきたのが「空」の思想です。変化し続ける世の中の背後には、複雑すぎるがゆえに、人智が及ばない何らかの法則がある。その「見えない変化の法則」を「空」と呼び、私たちは「空」という法則のもとで生きていると考えました。それを一番大切な宇宙原理としたのです。
ところで『般若心経』で、まずまっさきに思い浮かべるフレーズは「色即是空」ではないでしょうか。この一言が、『般若心経』の代名詞になっているとも言えるでしょう。仕事で失敗したとき、病気になったとき、失恋したとき、「この世は空だ」と心の中でつぶやいてみれば、形だけでも悟った気分になるかもしれません。決めのセリフというか、そんな風格に満ちている「色即是空」について簡単に解説しておきましょう。