大阪市との関係を断ち「破壊と創造」で復活
2001年に開業したUSJは、初年度に1102万人の入場者数を記録。1983年に開業した東京ディズニーランドの993万人という記録を塗り替えた。ところが翌年から不祥事が続出。レストランでは賞味期限の切れた食材が使われ、ショーでは火薬の不正使用で罰金50万円などの略式命令を受けた。イメージは悪化し、2年目の入場者数は763万人と3割も落ち込んだ。
当時のUSJは大阪市と米ユニバーサル、地元の大企業などによる第三セクターだった。運営はそれぞれの組織からの出向者の寄せ集めで、責任の所在はあいまい。赤字続きの現状を打破し、顧客目線に立ち返るため、04年に経営体制が一新される。そこで社長となったのが、ユニバーサル側からUSJの開業にかかわってきたグレン・ガンペルだった。大阪市を含む全株主との関係を整理し、経営を合理化。米国の投資会社ゴールドマン・サックスの支援を取り付け、USJは完全民営の企業として再出発した。
【森岡】グレンはUSJの救世主です。開業時のメンバーも一生懸命やったと思いますが、一部の株主の意向に抗えずコスト高の構造から脱却できなかった。どうやっても利益が出る体質ではなかった。人間にたとえれば、ぶよぶよの肥満体形でした。
【弘兼】よく経営学では「破壊と創造」といわれますが、コストカットという「破壊」をガンペルさんがやった。
【森岡】資本構成を変え、人員を整理し、コスト構造を1つずつ見直していく。利益の出せる筋肉質な体形への改革を行った。その成果で、USJはわずか3年でマザーズに上場できるほど、経営が好転しました。そのうえで、彼はこう思ったそうです。「コストは削った。次はトップライン(売上高)をどう伸ばすか。マーケティングの専門家が必要だ」と。
【弘兼】森岡さんが力を発揮できる環境が整えられていたのですね。
【森岡】グレンと会って、グッと心が動かされました。波長が合ったんです。「ハリー・ポッター」の提案では、最初は強く反対されましたが、最終的に意思決定したのはグレンです。すごい経営者だと思います。