日本ほど創造性溢れる国はない!

昼前後の東京駅大丸の地下食品売り場。数百種類もの趣向を凝らしたお弁当が並べられ、新幹線などで出張や旅行に出かける人たちが真剣に選んでいる。その光景を見るたびに、私は日本という国の豊かさ、創造性に感嘆する。

海外の鉄道駅で売っている昼食などせいぜいパサパサのサンドイッチ程度。それと比べ、和洋中華を取り揃え、食材や見た目にもこだわった多種多様なお弁当が用意されている日本という国は本当に豊かな国だ。

これはけっしてお弁当に限ったことではない。たとえば、私たちの生活に欠かせない宅配便。冷凍や冷蔵のものを送ることができたり、時間指定配達を選択することができるなど顧客本位のサービスが次々に生み出され、私たちの日常生活の利便性は大いに高まった。

清潔好きな日本人ならではの温水洗浄便座も日本ならではの革新的な商品だ。TOTOが「ウォシュレット」の名称で1980年に発売し、累計の販売台数は3000万台を突破。日本における温水洗浄便座の普及率は7割を超える。私たちの身の回りには、日本ならではの革新的な商品やサービスが溢れている。

にもかかわらず、「日本からイノベーションは生まれない」という論調がやたらと目につく。「日本は改善は得意だが、世の中をアッと言わせるような革新的なものは生まれてこない」という主張だ。

そうした主張の引き合いとして出されるのが、アップルだ。スティーブ・ジョブズという偉大な経営者の下で、iPod、iPhone、iPadなどワクワクするような商品を次々に開発し、世界を席巻した。

「なぜ日本からアップルは生まれないのか」「なぜ日本からジョブズは生まれないのか」という「ないものねだり」の議論が横行する。

確かに、アップルの商品群と比べれば、大丸に並んでいるお弁当や宅配便、温水洗浄便座などは小粒に見えるかもしれない。しかし、それらは間違いなく消費者に喜びや利便性、快適性を提供する「小さな奇跡」である。そうした新たな価値を生み出そうと懸命に努力する人たちの知恵とアイデア、創意工夫、そして情熱のこもった日本ならではの革新である。

実際、アップル製の商品に搭載されている主要部品の多くは日本製だ。日本の部品メーカーの地道な努力の継続によって小型化、大容量化、高耐久性が実現され、アップルの商品は成り立っている。

世間をアッと言わせる大きな革新ではないからといって、卑下する必要はまったくない。日本という国は「小さな奇跡」をたくさん生み出すことができる実に創造性溢れる国なのだ。

ピーター・ドラッカーは企業の目的は「顧客の創造」であると定義し、そのためにマーケティングとイノベーションという2つの機能が必要だとした。そして、イノベーションとは「新しい満足を生み出す」ことだとした。その文脈に則れば、日本は間違いなく「イノベーション大国」である。

にもかかわらず、「日本からイノベーションは生まれない」という誤った認識を持つ人が多いのは、米国流のビッグ・コンセプトにもとづくイノベーションが生まれにくいということにある。