天才依存の米国、現場起点の日本

ジョブズに代表されるように、米国から生まれるイノベーションは類い稀なアイデアや構想を持つ天才によって演繹的に生み出されることが多い。夢物語のような壮大なコンセプトを描き、それを実現する。確かに、それは「大きな奇跡」を生み出し、世界中の人たちを熱狂させる。

それに対し、日本における新たな満足の創造は常に現場が起点となっている。現場で働く人たちのちょっとした気付きやアイデアがもとになって、ひとつずつは小さいかもしれないが、数多くの革新が連続的に起きる。泥臭い帰納法的なアプローチが日本の特徴だ。

米国流の演繹的なアプローチをイノベーションもしくはINNOV ATIONと呼ぶのであれば、日本のアプローチはまさに平仮名の「いのべーしょん」と呼ぶべきものである。それほど違いがある。

これはどちらがよいかという話ではない。日本では日本に合った「いのべーしょん」を追求し、極めればよい。ひとりの天才に依存するのではなく、集団の力を活かし、ちょっとした気付きやアイデアを積み重ねていく。現場起点の泥臭い継続的改善や創意工夫を卑下する必要などまったくない。

たとえば、ディズニーランドはウォルト・ディズニーという稀代のプロデューサーが壮大なコンセプトの下つくり上げた実に米国的なテーマパークである。日本人がディズニーランドを生み出すことはおそらく困難であろう。

動物本来の動きを見られる展示で人気の旭山動物園。(写真=提供旭川市旭山動物園)

しかし、北海道の人気スポットとして定着している旭山動物園を米国人がつくることはできないだろう。限られたスペース、限られた人員しかいない地方の弱小動物園が、現場の飼育員たちのアイデアや知恵によって「行動展示」という新たな動物園の方向性を生み出し、創造的な展示を次々に実現している。これこそ日本流「いのべーしょん」のお手本である。

日本からディズニーランドが生まれないと嘆く必要はまったくない。日本は旭山動物園を生み出すことができるきわめて創造的な国なのである。