子育てしない父親は無能者のそしり

──「児孫のために美田を買わず」と言うが、美田を遺し、それを守る子どもを育てることが父親の役目だった。
職場にも子どもの姿があった 「名誉 三十六合戦 源二綱」(一勇斎國芳、嘉永頃)。木下藤吉郎が福島正則と出会った場面を描きながら、幼児の才能発掘と人材育成の大切さを教えている。桶職人が幼子を石臼に括り付け作業に集中している様子からは、江戸時代の父親が仕事の傍ら子守をしていた実情も垣間見ることができる。(公文教育研究会所蔵)

農家でも父親の子育ては重要でした。作物を工夫し、土地を富ませ、それを次代に譲ることが人生の一大事。村で出来高の少ない家が出れば、一蓮托生で村全体の責任になるため、落ちこぼれを出してはならなかったのです。

18世紀初頭、会津の篤農家は、子どもをよく教え育てることが大切で、うまく育てられないのは親の恥であるという和歌を残しています。

農村では、父親が農作業で培った知恵や技術を、子育てを通じて子に教え伝える構造が確立していました。賢い子どもを育てることのできる父親が、すなわち仕事ができる、能力のある人間である、という価値観がゆきわたっていたのです。

しかし、明治以降、日本が西欧に追いつこうと邁進する中で、職場と家庭は分離し、子育てにおける父親の役割も次第に消失していきました。

──今、父親がもっと育児に関わるべきとする「イクメン」がブームだ。北欧など福祉国家をお手本とするのもいいが、我々には江戸の風習からも学ぶべきところがあるかもしれない。
太田素子(おおた・もとこ)
1948年生まれ。和光大学教授。東京学芸大学卒。お茶の水女子大学大学院教育学修士課程修了。専門は教育学、教育思想史。主著に『江戸の親子 父親が子どもを育てた時代』『子宝と子返し 近世農村の家族生活と子育て』など。