職住接近が可能にした江戸の父親の育児
──江戸時代は封建制。男に育児のイメージはないだろう。しかし父親が育児を担う合理的な背景があった。
近世の人々にとって、家を豊かにし後代に伝えることが自分や家族の命運を握る鍵でした。それはとりもなおさず、子どもに学を与え、賢く育てて家督を譲ることを意味しました。家だけが自分を守る盾であった時代、教育に熱心であることは美徳であり、差し迫った課題だったのです。
武士の場合、父親はまず、子に学問を教える「教育パパ」でした。上級武士と下級武士の垣根はあったものの、それを乗り越えて勘定方の地位を得るなど、能力次第でエリートへの道も拓けたからです。
林子平の『父兄訓』が象徴するように、育児の監督責任は父親にあり、父親向けの心得を説くことが、育児書でも一般的でした。
そればかりでなく、陣屋という見張り小屋での宿直に、父親が日常的に子どもを連れて泊まったとの記録があります。また、公事という裁判を覗きに行った子どもが、公事方である父親の姿を誇らしく見ていたという日記もあります。
花見などの行事や子どもの遊びに父親が関わるのもしごく普通のことでした。職住接近だからこそ、可能であったことでもあります。