ところが東京湾の場合、海に面する地方自治体は1都2県。国も港湾、河川、水産、環境と縦割り行政。頼りの学者も自分の専門しかわからない。湾全体を誰も考えていないというのが現実だった。それでも大野さんは諦めなかった。

「僕は漁師だから毎日海を見ている。環境を目の当たりにしている漁師ほど、東京湾をわかっている人はいないからね」

孤立無援の中、本を執筆したり、ロビー活動をしたり、メディアも使って世間に東京湾の魅力を発信し続けた。

「愚痴ばかりこぼす人の周りに、人は集まらない。仏頂面しても一銭にもならない。悩んだときは自分に魅力をつけることだね。あとは体を動かすこと」

船橋市の観光協会会長に就任した大野さんは観光と商業と港湾が並立するおしゃれでかっこいい町づくりを目指している。

「今月はバンクーバーのグランヴィルアイランドに視察にゆく予定。ここは工業地帯だったのが、戦後日本の高度成長に押され没落した町。70年代半ばから町の再開発が始まったんだけれど、どんな町にすべきなのか、学ぶ点が多いんだ。スクラップアンドビルドの大規模開発ではなく、限られた予算の中で、歴史を残しながら人を幸せにする町を目指した、とてもセンスのいい町づくりを行っているんだ」

ビール工場、港湾のクレーンなど工場地帯だった面影を残し、新たにパブリックマーケット、美術大学、保育園を誘致。渡し船など海上交通を整備。港湾内も市民の利用が可能で、夕方になると仕事を終えたビジネスマンがアウトリガーカヌーやボートで海を楽しむ。自然環境を生かし観光と商業と水産業の町として賑わいを見せている。

「五輪の東京“湾岸”開催が決まったけれど、開発も同じ過ちを繰り返してはいけない。人間をダメにするのは目先の欲だ」と大野さんは言う。

魅力的に年を取る秘訣はどこにあるのだろう。

「人生は海と同じで満ち引きのあるもの。うまくいかないことがあっても自分を笑い飛ばしながら生きたほうが楽だし、一度きりの人生、生きていることを楽しみたいじゃないですか。いくつになっても僕は前しか見ない。無我夢中ですよ」

現在、スズキの水揚げは船橋漁港が全国一。問題を抱えながらも東京湾は依然として豊かな恵みを育んでいる。

ファッション・プロデューサー 伊藤紫朗
1931年、東京都生まれ。立教大学経済学部卒業後、白木屋(現・東急百貨店)に入社。紳士服仕入部に配属となり輸入生地、既製服のバイヤーを務める。59年、1年間休職して服飾研究のため渡米。帰国後、服飾評論家として独立。帝人、ユニチカ、シキボウなどの顧問を歴任、数多くのブランドの立ち上げにも参画。
 
船橋観光協会会長 大野一敏
1939年、船橋で江戸時代から続く網元の長男として生まれる。内湾一の魚とりといわれた父親とともに10歳の頃から船に乗る。76年から漁労長として船団を指揮。85年船橋漁業協同組合長。99年NPO「ベイプランアソシエイツ」設立。著書に『東京湾で魚を追う』など。
(構成=相澤光一、遠藤 成 写真=スタジオ108)
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