軍艦島▼海に浮かぶ「要塞」は海底炭鉱で働いた5300人の生きた証

1.閉山した3カ月後には無人島となった
2.石炭を貯炭場に集積するためのベルトコンベヤー。現在は支柱だけが残っている
3.日給社宅と呼ばれる高層アパート。約6.3hの狭い土地に最盛期約5300人が住んだ
4.1896年建設の第三竪坑のケージを昇降させる捲揚機の捲座。煉瓦積の壁と基礎が残存
※非公開施設につき、特別な許可を得て撮影

長崎には「明治日本の産業革命遺産」の23の構成資産のうち、5つの長崎造船所関連施設、高島炭坑、端島炭坑(軍艦島)、旧グラバー住宅と8つの資産があります。長崎は、西洋との窓口として、450年前から交流によって栄えてきた歴史があり、交流という文化がこの街のDNAに組み込まれているのです。西洋から技術を移転し、匠の技との融合によって国内に適した技術を開発するという技術交流が、日本の急速な近代化を成し遂げた。その一端を担う産業遺産が長崎に多数残されていることを、心より光栄に思います。(長崎市長 田上富久)