朝4時起きで大量のおにぎりづくりも

上田さんとは何度も話をさせてもらった。近年は、女子ラグビーのことが話題になることが多かった。女子サッカーの“なでしこジャパン”のごとく、上田さんは女子ラグビーの可能性の大きさに期待していた。2009年に7人制ラグビーが16年リオデジャネイロ五輪の正式競技に決まり、女子7人制ラグビーへの注目も高まってきた。

そんな中、上田さんは11年8月に発足した女子ラグビーのTKMに携わっていた。上田さんと一緒に指導にあたっていた花岡伸明チームディレクターは「上田さんは女子ラグビーなら世界で勝てるという前提で指導をやっていました」と言う。

「とくにセブンズはイケるよって。スピードとフィットネス、スピリットで勝負。そのためには、他競技からでも(運動能力の)ポテンシャルを持っているアスリートを集めないといけないのだ、と言っていました」

上田さんは名選手、名監督だったにも関わらず、偉ぶったところは微塵もなかった。女子チームために、遠征先では朝早く起きてはスーパーマーケットに行って、選手が飲むミネラルウォーターやオレンジジュース、氷などを買っていた。

夏場の練習はグラウンドの都合で午前7時から。「そこで上田さんは朝4時には起きて、選手のためにおにぎりを20、30個、ひとりでつくっていたんです。いびつな形のおにぎりでしたけど」と、花岡さんは懐かしんだ。

上田さんは、ことし11月の7人制女子ラグビーのリオ五輪予選を心配していた。新たな夢が女子ラグビーの五輪メダル獲得だった。上田さんの思いは山田選手やセブンズ日本代表に引き継がれるだろう、きっと。

多くの人々に慕われた上田さんは7月23日、難病の代謝性疾患「アミロイドーシス」のため東京都内の自宅で死去した。62歳だった。上田さんの人気ブログ「スポーツひとりごと」の最後は6月30日、タイトルは『ああ……』だった。合掌。

松瀬 学(まつせ・まなぶ)●ノンフィクションライター。1960年、長崎県生まれ。早稲田大学ではラグビー部に所属。83年、同大卒業後、共同通信社に入社。運動部記者として、プロ野球、大相撲、オリンピックなどの取材を担当。96年から4年間はニューヨーク勤務。02年に同社退社後、ノンフィクション作家に。日本文藝家協会会員。著書に『汚れた金メダル』(文藝春秋)、『なぜ東京五輪招致は成功したのか?』(扶桑社新書)、『一流コーチのコトバ』(プレジデント社)など多数。2015年4月より、早稲田大学大学院修士課程に在学中。
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