マーケティングで世界を相手に戦う
2年目、本社の人事部から「留学生の選抜試験を受けてみろ」と言ってきた。1度目は落ちたが、2度目に合格。81年6月に渡米し、ニューヨークのコロンビア大学経営大学院の修士課程に入り、MBAを取得して83年6月に帰国する。ライオンには11年、日本コカ・コーラを含む外資系企業3社には計19年、在籍した。
2014年4月、資生堂の社長となる。きっかけは、日本コカ・コーラを去った後、仲間たちとグローバルマーケティングを手がけるブランドヴィジョンを設立したことに始まる。ここで、携帯電話会社のマーケティングを請け負った。その役員合宿の講師に、資生堂の前田新造社長を招く。前田流の「お客さま志向」を聞いた。
そこで接触は切れたが、2013年春、いったん退いた前田さんが社長への復帰が決まると、翌日、「資生堂のマーケティングを立て直したい。手伝ってほしい」と頼まれた。4月、マーケティング分野の統括顧問を引き受ける。新設されたマーケティングの会議では、前田さんの横に座る。商品構成の再編にも参画し、「マキアージュ」などの見直しを指導した。すると、11月に銀座のレストランに呼ばれ、社長への就任を要請される。社外役員たちとつくる指名委員会の結論だ、と言う。
もちろん、受けられない。ブランドヴィジョンには、かつての仲間が何人も集まってくれ、縁のある経営者からの仕事もある。2、3日して、前田さんに断った。でも、数日後に、再び口説かれる。「資生堂を、日本を代表するグローバルブランドにしてほしい」。
この間、初めはすごく怒ったブランドヴィジョンの役員が「みんなと相談した。資生堂の社長をやるべきだ」と言ってきた。日本の企業を、マーケティングで世界で戦える会社にしたい、との魚谷さんの志に賛同した。それを一緒にやっていきたいが、資生堂の話も同じ目標だ。後のことは何とかするから、頑張ってほしい。そんな話をされて、目が潤んだ。
社長になっていくつか改革策を打ち、新しいブランドや製品も出した。毎月開くことにしたブランド戦略会議には役員だけではなく、営業現場の代表者も呼ぶようにした。そこでは議論を先導せず、進行役に徹する。やはり「身在事外」でなければ、本音は出てこない。
昨年11月に発売した「新生マキアージュ」の広告では、営業の代表から「お客から聞いている話で言うと、ここはこうあるべきではないか」との意見が出た。クリエーターがその声を反映してつくり直したものをみせると、営業側から拍手が湧いた。「ジョージア」のCMをつくり直したときと、同じ光景だ。「新生マキアージュ」の口紅は翌12月、売上高が前年同月ので2.6倍に達した。
1954年、奈良県生まれ。77年同志社大学文学部卒業、ライオン歯磨(現ライオン)入社。83年米コロンビア大学経営大学院修了。94年日本コカ・コーラ取締役上級副社長、2001年社長、06年会長を経て、13年資生堂マーケティング統括顧問。14年4月より社長。