追い詰められたカストロ兄弟が亡命する日

一方のキューバ。初代国家評議会議長のフィデル・カストロは病に倒れ、08年に国家評議会議長を退任して、弟のラウル・カストロが後継に選出された。ラウル議長は経済立て直しのための改革開放政策に取り組んでいるが、如何せん、兄貴ほどの圧倒的なカリスマ性はないし、独裁制を維持できる器でもない。革命と反米主義の象徴だったフィデルが表舞台を降りたことが、国交正常化の推進力になったのは間違いないだろう。

キューバ外交の観点からいえば、ベネズエラのウゴ・チャベス大統領が死去した影響も見逃せない。チャベスといえば、莫大な石油収益をもとにバラマキ福祉で国民の支持を得る一方で、アメリカの覇権主義を糾弾、反米主義を掲げて、中南米の反米左派政権に豊富な石油資源を提供してきたリーダーだ。キューバとも反米同盟を築いて安い値段で石油を融通し、カストロ独裁維持の後ろ盾になってきた。しかし、チャベス大統領は13年の3月に亡くなった。

チャベスの子分だったニコラス・マドゥロ氏が後継大統領に就いたが、これが「大男総身に知恵が回りかね」というタイプ。チャベスのバラマキのおかげでベネズエラの石油掘削原コストは実質バレル 40ドル程度になっていたが、国の財政を均衡化するためには150ドルの石油でなければ成り立たないような状況だった。ところがマドゥロ大統領は盲目的にチャベス路線を踏襲、そこに石油価格の下落が加わって財政は一気に悪化、急激なインフレが進行してベネズエラ経済は破たん寸前まで追い込まれている。

キューバからすればチャベスなきベネズエラはもはや頼むに足らないし、アメリカとしてもキューバへの接近は反米の盟主ベネズエラを孤立させる圧力になる。チャベスの死去と石油価格の下落に伴うベネズエラ情勢の変化は、アメリカとキューバを結び付ける動機になったのだ。

旧車が走る歴史博物館のような国(キューバ・ハバナ市街)。

さて、アメリカとキューバの国交正常化の今後である。国交正常化といっても、現状はこれまで300万円しか送金できなかったものが1000万円までできるようになったというレベルで、道のりは長い。しかし年内の国交回復に向けて進んでいくのは間違いない。50年前のスチュードベーカー(1967年まで存在した米自動車メーカー)のクルマが走っている歴史博物館のような国だから、アメリカの産業界からすれば150キロの至近距離に1100万人の貧乏人がいるマーケットを取り込むチャンスだ。

ただし、国交回復に向かうにせよ、旧態依然とした重たい政府組織、圧政を支えてきた秘密警察、ラウル議長の無能さなどを全部足し合わせて考えたときに、キューバが近代化して自力で新しい産業エンジンを回すのは難しいだろう。アメリカに渡ってアメリカの教育を受けたキューバ移民、意欲と力のある一部の人たちが急速にキューバに戻って早い者勝ちで利益を独占することになりそうだ。政府がこれを押しとどめようとすれば、また警察国家に逆戻りしてしまうわけで、どのようなリーダーが出てきても対処しきれない。

半世紀もアメリカと対立してきたしぶとく、したたかな国ではあるが、一度近代化の門を開いたら抗えない。最終的にはプエルトリコ(アメリカの準州)と同じように51番目の州(の候補)になるのだろう。その場合カストロ政権の弾圧に苦しんできた人々は政権転覆に動き始めるかもしれない。カストロ兄弟がアメリカ(またはロシア)に亡命を求める、というシーンも想定範囲、と見ておかなくてはいけない。

(小川 剛=構成 ロイター/AFLO=写真)
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