賞味期限切れだった米国の対キューバ政策

無条件の国交回復と経済制裁解除をアメリカに求めるキューバに対して、アメリカは複数政党制の実現や政治犯の釈放などを条件にキューバの要求を撥ねつけてきた。そんな両国がこのタイミングで国交正常化に動き出したのはなぜか。

両国の関係回復を仲介したのはローマ法王フランシスコで、交渉は13年から続けられてきたという。現法王のフランシスコはアルゼンチン出身。つまり初の(スペイン語が堪能な)中南米出身の法王であり、前法王のベネディクト16世は12年にキューバを訪問してフィデル・カストロ前国家評議会議長と会談している。仲介役としてバチカンが果たした役割も大きい。

実はアメリカの対キューバ経済制裁については毎年のように国連で非難決議がなされ、昨年はとうとう国連加盟193カ国のうち188カ国が「制裁解除」に賛成、反対はアメリカとイスラエルの2カ国だけ(棄権3カ国)。つまりキューバを孤立化させる戦略を採ってきたアメリカ自身が国際社会で孤立してきたのだ。

「アメリカの外交政策で賞味期限が切れたものがあったとすれば、対キューバ政策」とオバマ大統領も述べている。

そのオバマ大統領からすれば、「核なき世界」というチェコ・プラハの名演説でノーベル平和賞を受賞しながら、何の外交得点もなく6年が経過。中間選挙で惨敗し、上院下院とも共和党に多数派を握られて残る2年の任期は厳しい政権運営を強いられそうで、肝煎りのヘルスケアプラン(医療制度改革)も覆される可能性が出てきた。そこで何か功績として歴史にオバマの名前を残せるものはないかと昔の書類をひっくり返していたら、埃を被っていた「キューバ外交」のアジェンダが出てきた、というのが実際のところではないか。08年の大統領選挙のときからオバマ大統領はキューバとの関係正常化に前向きな発言をしていたのだ。

米国内のキューバ系移民の温度変化も国交正常化に大きく作用している。国交断絶した当時から、カストロの圧政を嫌う人々はキューバを脱出し、わずか150キロしか離れていない米フロリダ州などを目指して亡命した。

カストロ独裁に批判的なキューバ移民はアメリカでも優遇され、政治家を輩出するなど政治的ポジションを高めていった。アメリカの対キューバ政策は、「カストロが排除されるまで国交回復すべきではないし、経済制裁をやめるべきではない」という反カストロ派のキューバ移民の声に強い影響を受けてきたのである。

しかし、冷戦が終結してソ連が崩壊するとキューバ経済はさらに困窮し、経済的理由からアメリカに亡命するキューバ人が急増する。近年になって亡命してきた若いキューバ人は「カストロ憎し」というより、「愛する祖国を豊かにしてくれ」という思いが圧倒的に強い。そうした新世代の登場で、国交正常化にも経済制裁解除にも肯定的なキューバ移民が今や多数派になった。