「IT業界で何かがしたい」と無謀な独立
車氏は、会社を創業することを考えていた。大学に入学する前から、心に秘めていたことだった。
「これで海外に赴任すると、ケンウッドに長く残ることになり、起業のチャンスがなくなると思いました。一生、サラリーマンをしていくことに葛藤があったのです」
話し合いの末、上司たちは承諾してくれた。最後は、部長らのはからいで、部員20人ほどが参加する送別会が開かれた。
「心の温かい人たちでした。私にとって、ケンウッドはすばらしい会社。このときは、26歳。結婚する前で、子どもがまだいなかったので、大胆なことができたのかもしれませんね」
実は、起業をするうえでの具体的な計画はなかった。当時は、ITバブルといわれた頃。「IT業界で何かがしたい」と漠然と思っていただけだった。
まず、個人事業主として、ある会社に常駐し、システム開発に携わった。パソコンを使うことには慣れていたが、経験はゼロ。
「本を買って、すごく勉強しました。めちゃくちゃに苦労しました。いい経験をしましたね(苦笑)」
ほぼ毎晩、終電間際まで仕事をしたようだ。疲れがたまり、熱が40度近くになることがあったが、出社していた。その頃、同じプロジェクトで知り合った2人の男性と一緒にケーエムケーワールドを興した。車氏から声をかけたのだという。
「2人とも結婚し、子どもがいました。彼らは、話によくのってくれましたね。実は、私には勝算はなかったですから……(苦笑)」
それぞれが数百万円ずつ出資し、資本金などを集めたが、1000万円には足りない。さしたる運転資金もない。車氏は、知人などからお金を借りた。自宅マンションを事務所としてスタートしたのが、2001年。
始めの数年間は、システム開発の仕事を請け負うと、中国の子会社で対応するようにした。そこには、優秀なプログラマーの中国人がいた。中国への進出は、人件費などのコストが安いことを考慮し、早くから考えていたという。