病院の外が幸せで病院の中は不幸なの?

サイカチはマメ科の植物。かつて、昭和大学病院と清水台小学校の前の坂道がサイカチの並木道になっていた。サイカチは大きいもので樹高15mにもなる高木。「子供たちに、サイカチのように大きく元気に育ってほしい」、学級名にはそんな願いが込められている。

院内学級とは、「病弱・身体虚弱特別支援学級」のこと。全国には病気やケガで学校に通えなくなり、教育上の配慮を必要とする児童・生徒が大勢いる。そういった子供たちを対象にした特別支援学級は全国に1000程度ある。そのうち病院内に設置されている学級は200以上。さいかち学級も、その1つだ。

今では院内学級のエキスパートになった副島先生だが、最初から病気の子供の教育に関心があったわけではない。

教師を志したのは、小学校のときに新卒で赴任してきた若い先生の影響だ。当時流行っていたドラマ「熱中時代」の主人公、北野広大のような熱血教師で、休日も一緒になってサッカーや野球をしてくれた。いつか自分もあんな教師になりたい――。夢が叶って小学校の教師になった後は、かつて思い描いていたように子供たちと存分に走り回った。

ところが、29歳のときに転機が訪れる。肺に膿(うみ)が溜まって、入退院を繰り返すことになったのだ。肺の一部を失い、激しい運動のできない身体になった。

「子供と遊べなくなったら教師をやめようと考えていたので、本当にショックでしたね……」

身の振り方に悩む副島先生にヒントをくれたのは、入院中に出会った人々だった。ある少年の病状について、看護師さんから「あの子は一生病院から出られない」という話を聞いた。そのときは、かわいそうと思っただけだった。しかし、2回目に入院したときに見方が変わった。

「当時は『病院の中が不幸、病院の外が幸せ』と考えていました。しかし、そうだとしたら、あの少年はずっと幸せになれないことになります。そのときから、病院の中にだって幸せになる方法があるはずだという問題意識を持つようになりました」

2回目の入院時には、たまたま入院していた男性の看護師とも仲良くなり、「これからは学校でも心理学が必要になる」とアドバイスを受けた。

それらの出会いがきっかけになり、退院後は教員の派遣研修制度を利用して、大学院で児童心理学を学んだ。

運命を決定づけたのは、大学院で見たデータだ。不登校だった2万人を追跡調査して、不登校の原因を調べた研究があった。それによると、病気をきっかけにして長期欠席に至った人が13.4%いた。これを見た瞬間、すべてがつながった。

「病気の子供たちへのケアが足りていない。教員の僕にできることといえば、院内学級だ!」

小学校に戻った副島先生は、院内学級への異動を願い出た。東京都に院内学級は5カ所あり、教員の定員は7人。狭き門だったが、粘り強く待ち続け、数年後にさいかち学級への転任が決まった。