『企業参謀』の誕生秘話

『企業参謀』を出版してから、もう40年近く経つ。

当時の私は30歳過ぎ。原発の技術者からまったくの畑違い世界に飛び込んだ駆け出しの経営コンサルタントだった。マッキンゼー&カンパニーも東京に事務所を開設したばかりで、日本のビジネス社会では「コンサルティング」の価値に対する理解はまったく浸透してなかった。

コンサルティングがいかなるものか、私にもよくわからない。だから日々の仕事の中で自分が気づいたこと、理解したことを大学ノートに書き留めていた。それが当時のダイヤモンド・タイム社(現プレジデント社)の編集者の目に留まって、『企業参謀』という本は生まれた。

どこの馬の骨ともしれない若造が持ち込んできた企業戦略に、老練な経営者が飛びつくわけもない。しかも目の玉が飛び出るようなコンサルタントフィーを提示するのである。

私も苦労していたし、マッキンゼー東京事務所の業績も振るわなかった。『企業参謀』という表題には、コンサルティングの価値を日本の企業社会に知らしめたい、“若さ”のハンディキャップを乗り越えたいという当時の私の思いが込められている。

「日本初の本格的経営書」などと紹介されているが嘘っぱちで、『企業参謀』はビジネスのことを知らない人間がどうやってビジネスを学んだかを書いた入門書だ。それがどういうわけか、経営者のマインドに刺さって大ヒットになった。後にマグロウヒル社から出た英語版『ストラテジックマインド』は世界中の言語に翻訳され、フィナンシャル・タイムズに「孫子の兵法以来の50冊の経営書」にも選ばれている。

『企業参謀』が売れたおかげで、マッキンゼー東京事務所に次々と仕事が舞い込むようになった。しかも「大前さんにお願いします」という名指しの依頼ばかりだった。

今にして思えば、私はいい時代にコンサルティングの仕事ができたのだと思う。日本経済が一番活力のあった時代で、石油危機や円高に見舞われても、日本企業はイノベーションや世界化で乗り越えようとする気概に溢れていた。

松下幸之助さんや本田宗一郎さんのような戦後第一世代の経営者が最前線で踏ん張っていたし、盛田昭夫さん、川上源一さん、稲盛和夫さんといった第二世代も力をつけていた。

特に戦後第一世代というのは独特で、ほぼ全員が「企業社会における中曽根さん」みたいな人だった。日本のステータスを上げたい、自分の会社をグローバルにしたいという強い信念を持っていた。英語ができなくても発想はグローバルで、「狭い日本に閉じ込もっていたら未来はない」とばかりに、しゃかりきになって海外に出て行った。

ついては「大前に相談しよう」という感じで、私の立ち位置は非常にラッキーだったのだ。