処世術[4]ライバルが追い上げ

組織内での出世争いに、官兵衛はどういう態度を示すでしょうか。次のようなケースで考えてみましょう。

創業間もないIT企業に請われて入社。取締役として、社長と二人三脚でビジネスモデルを考え、営業や融資獲得に奮闘し、ついに会社を上場に導いたX氏。だが会社上場後、社長はX氏を取締役に据え置いたまま、同格の取締役に、入社間もない若手を起用した。会社への貢献の実績ではX氏が圧倒的だが、向こうは留学経験のある国際派。お世辞もうまく、社長に大いに気に入られ、X氏のいないときにも一緒に飲みにいくなど、すっかり側近気分。最近は経営戦略の立案でも、社長はX氏を蚊帳の外に置いたまま、2人で相談を重ねているようだ……。

もし官兵衛がX氏の立場だったら、どうしたでしょうか。

官兵衛は、出世争いには終始「我、関せず」の姿勢を貫きました。若手が自分より重要なポストについたからといって、悲観したり、恨みに思ったりはしないでしょう。恬淡としつつ、与えられた仕事をこなしていったと思います。

官兵衛は、「我、人に媚びず、富貴を望まず」との言葉を残しています。現代で言えば、「権力者に取り入ってまで出世しようという気はない」ということです。事業や仕事に関しては人一倍熱心で、自分の会社を生き残らせようという思いも強いけれど、出世欲や権勢欲はない。とりわけ有岡城での幽閉以来、ものの考え方が変わった様子がうかがえます。現代に生きていたとしても、出世争いなどとは無縁だったでしょう。

秀吉は、天下人になることが見えてくると、弟分であり創業の功臣である官兵衛よりも、子飼いの石田三成らを重用するようになりました。いわば官兵衛は、急速に地位を上げてきた三成に出世競争で追い抜かれ、それまでのポジションを奪われたのです。

しかし、それでも官兵衛は「なんとか元の地位に戻ろう」と画策することはありませんでした。秀吉に媚びることなく、一歩、距離を置く。そして、豊臣政権における出世競争から「降りて」しまったのです。

おそらく官兵衛は物欲、権力欲、性欲などを満たすことは刹那的な快楽であり、本当の幸福は他人との比較ではなく、自分の使命を全うする、家族を愛する、感謝の気持ちを持つといった、自分自身の内部にあることを理解していたのでしょう。

ランチェスター戦略コンサルタント
福永雅文
(ふくなが・まさふみ)
1963年、広島県呉市生まれ。関西大卒。戦国マーケティング代表取締役。著書に『黒田官兵衛に学ぶ経営戦略の奥義“戦わずして勝つ!”』『世界一わかりやすいランチェスター戦略の授業』など。
(構成=久保田正志 写真=amanaimages)
関連記事
ドラッカーが教える「理想の上司の条件」
人事部の告白「40代で終わる人、役員になれる人」
実力者を見極め、取り入る会話
なぜ結果を出すマネジャーは非情なのか
なぜ最大の才能が「真面目」なのか