野村ヤクルトが悲願の日本一
すると、試合後、野村は宮本を名指しで批判した。
「清原に対し、内角のサインにもかかわらず、外角に投げ、ファウル。また内角を要求され、ど真ん中に投げ、ホームラン。何度同じ失敗をくり返すんだ!」
このシリーズ、野村の日本一にかける意気込みは尋常ならざるものがあった。「ID野球」を掲げ、「確率」の野球を追求してきた野村にとって、「先読み」と「逆算」の森は絶対に越えなければならない壁だった。
5戦目にして初めて西武ペースに持ち込んだ森は、鹿取義隆、杉山賢人、潮崎哲也の“サンフレッチェ”で締め、7対2で完勝した。
第6戦は、4回裏一死満塁から、森が6番に下げた秋山がグランドスラムを放ち、4対0とリード。対するヤクルトは、8回表に1点。9回表に1点を入れ、なおも一死一、三塁というチャンスを迎えると、野村は代打・八重樫幸雄を送り、1ボールからの2球目、大胆にもヒットエンドランを仕掛けたが、結果はレフトフライ。
「守る側としては嫌な作戦やった」(森)
「一世一代の大博打。一、三塁からのエンドランは2点以上負けているときの作戦や」(野村)
野村の大博打が失敗し、試合は4対2で西武が逃げ切った。
3勝3敗で迎えた第7戦は、初回から本塁打の応酬になった。1回表、ヤクルトの4番・広沢が3ランを放てば、1回裏、西武の4番・清原が2ラン。その後、両軍得点がなく、ヤクルトは8回表一死から3番・古田が放った打球が左中間を抜けると、三塁へヘッドスライディング。その古田を、6回表に一塁へヘッドスライディングを試みた広沢がショートへゴロを転がし、4対2。その裏からクローザーの高津臣吾が登板し、9回裏は清原と鈴木健(指名打者)を連続三振に仕留め、野村ヤクルトが悲願の日本一に輝いた。
野村はお立ち台にのぼると、「最高です」といったきり、しばらく声が出なかった。
森は巨人選手時代からつづけていた日本シリーズ連勝記録が20でストップした。
「若返りをはからないとチームに将来はない」
野村が森にリベンジし、監督としての日本シリーズは1勝1敗のタイになった。
1436試合 785勝583敗68引き分け 勝率5割7分4厘
【野村克也レギュラーシーズン監督成績】
3204試合 1565勝1563敗76引き分け 勝率5割3毛
(文中敬称略)