あたたかい食べ物が、乗客の不安をやわらげた

駅員たちの力により、EFは初狩に到着。足止めされていた列車を大月駅に進めることに成功した。自力で帰宅したり、行政が開放した公民館などに避難した乗客もいた。それでも15日夕方、大月駅に身を寄せる乗客は約300人に上った。

除雪が完了し、初狩駅に向け、電気機関車が発車する様子。運転席から撮影。(JR東日本=写真提供)

助役の小池弘は、ひとつの懸念を抱いていた。それは乗客の食事である。近隣で開店するコンビニやスーパーはあったが、すでに商品は少なくなっていた。また物流が滞り、新たな商品が届く目途は立っていない。小池はいう。

「3.11では、大月でも列車が止まり、お客さまに食事を提供しました。コンビニやスーパーを回っておにぎりやパンを集めたのですが、百数十食しか集まらなかった。大月で調達するには限界があるのはわかっていた」

時計の針を15日の朝6時に戻す。松永は一本の電話をかけていた。大月駅前でビジネスホテルや居酒屋を営む「濱野屋」。社長の天野太文は大月市観光協会の会長を務める。松永とは顔見知りだ。乗客の食事をなんとかお願いできないか、という松永の申し出を天野は快諾した。

「大月で困っている人がいるならできる限りのことはやってあげたいと思った。車内で過ごす方にとって食事は数少ない楽しみでしょうから」と天野は語る。

はじめての食事は300人分のおにぎりと「寒い思いをしている人に温かい物を」と濱野屋の板長が作った豚汁。豚汁は生ビール用の使い捨て容器で配られた。それからストックされていた食材で1日2食の弁当を作り続けた。鮭弁当、カレー弁当、唐揚げ弁当、豚すき弁当……。

「メニューを毎回変えていただき、お客さまのストレスを少しでも和らげることができたのではないかと思います」と助役の小池は濱野屋への感謝を口にする。

松永には忘れられない乗客の反応がある。16日朝、松永は「今日のお昼は温かいカレーです。楽しみにしていてください」と乗客に声をかけながら各車両を回った。すると乗客から拍手が起きた。

「車内放送を使わずにできるだけ肉声で情報を伝えました。不安を抱えるお客さまの質問にもひとつひとつ応えていきたいと考えていたんです」(松永)

しかし新たな問題が次々に発生する。

15日の夜から16日の早朝にかけては断水が起きた。それでもトイレが使えるように、急遽、段ボール箱で「汚物入れ」をつくり、対応した。

体調を崩す乗客がいると、近くの病院まで駅員が付き添った。インフルエンザの疑いがある乗客も出た。すぐに車両をひとつ空けて患者を隔離し、駅に常備していたマスクを乗客全員に配った。