「窓販」との連携で地域密着を深化
キーワードは「差別化」だ。90年を挟み、日本でも「ビッグバン」と呼ばれた金融改革が進んで、銀行も証券会社もあらゆる業務を手がける「総合金融の時代」がくる、とはやされた。その一環で、生保と損害保険会社が相互に参入するために、子会社をつくることも認められた。だが、反対論を唱え、「うまくいくはずがない」と同調しない。これもまた、米山流の差別化だった。
差別化は、自社の弱点を「以人之長」で補うことと、矛盾はしない。むしろ、両輪になる場合もある。金融機関の窓口での生命保険や医療保険、定額年金などの販売、いわゆる「窓販」は、その代表的な例だ。
窓販は2002年に解禁された。当初、生保各社は「金融機関に主導権を奪われる」と熱心ではなかったが、富国は全国の信用金庫と組み、力を入れた。信金の職員は、その地で生まれ、多少の転勤はあっても、地元で働き続ける。地域に密着し、お客たちの家庭に近く、保険のセールスレディーたちと共通点が多い。生命保険のような期間の長い商品を扱ってもらうのに、向いている。
それが第1の理由だったが、もう1つ、大きな背景がある。
バブル崩壊から金融危機を経て、セールスレディーは激減した。富国は、営業拠点こそ4分の1を集約したが、全国で1万人の規模は減らさない。だが、なり手が減って、もう増やすことは難しい。セールスレディーからも「仕事を獲られる」といった不安は、出なかった。
窓販専門の子会社も設立した。シンプルで扱いやすく、ニーズが高い商品を、窓販向けに開発する狙いもある。何でも自社だけで開発・生産し、自社で売る。そんな自前主義へのこだわりは、グローバル競争が激化した業種では、とっくに捨てている。連携や合流は、日常茶飯事だ。にもかかわらず、他社の動きが鈍ければ、差別化はしやすい。
いま、人口が減り、高齢化が進む時代。そこでこそ、深い差別化が問われる。入社3年目に営業本部の商品課へ異動し、課長に「これから高齢化社会がきて、死亡保障や年金の商品に、医療保険を加えた3つが重要になります。それらを揃えることが必要です」と提言した。数学が専門で、保険計理人だった課長は翌日、「きみが昨日しゃべった話は、数式にすると、この3行だ」と言って、紙をみせた。「わずか3行だと」と反発はしたが、商品の基本的な設計は、そんなに難しいものではない。
最大の舞台は「お客のため」に、何を、どこまでできるかだろう。家族構成、健康、貯蓄水準など、お年寄りたちは一人ひとり、一世帯一世帯、暮らしの条件が違うから、一律的対応ではニーズに応えきれない。90年代の初め、先進国の少子高齢化に警鐘を鳴らした経営学者のピーター・ドラッカーは、日本はそうした「先進的な課題」を抱えても、必ず解決していく、と言い残した。その解決の、先頭を走りたい。
支社や営業所に毎日、病気になった契約者や家族から「保険を勧めてくれて、ありがとう」「保険金を払ってもらえるようにアドバイスしてくれ、申請書の書き方まで教えてもらい、感謝しています」といったお礼がくる。そんな話を聞くと、うれしくて、社内中で紹介する。「もし自分がそのお客だったら」と想像すれば、差別化の原動力がセールスレディーたちであるのは、明快だ。