2010年12月の10回目の大会でようやく優勝できたんですが、そのときも「頼むわ頼むわ、観自在菩薩……」って唱えてました。優勝が決まった後、お礼のためにもう1回唱えたりしましたね。

自分が「精神的に辛いな」と思うときに般若心経を唱えることはないです。でも、「M-1グランプリ」のように自分たちがベストを尽くし、あとは競っているライバル次第だったり、飛行機のようにパイロットの腕次第だったりと、自分ではどうすることもできないということがあります。そういうときは自然と般若心経に頼らせてもらっている感じです。

「空」を理解し「慈悲」の心に至る

ところで、般若心経に「能除一切苦 真実不虚」という個所があります。「知恵の完成は、一切の苦を取り除くことができ、これこそ真実であり、偽りがない」という意味ですが、ここでいう「知恵」は学問や知識のことではありません。

この世で認識できるものはすべて「物質的現象」だというのが仏教の概念です。この「物質的現象」は実体がないと考えられており、実体がないという概念を漢字1文字で表すと「空」になります。回りくどくなりましたが、「知恵」とは、「空」の概念を知ることなのです。

この世に存在するすべてのものを、一旦ドロドロした液状のものにしてみます。自分も草木もゴミも、ドロドロしているものの中で、偶然形づくった何かがたまたま自分となって現れているだけであり、すべては繋がっているのです。

僕も時々、誰かのことを「こいつのことがめっちゃ嫌いやわ」と思いそうになることもあります。そんなとき、般若心経を思い出し、「僕もあいつも元はドロドロしたものの一部にすぎない」と思うと、少し心が落ち着きます。また、道路の片隅に落ちていた汚いゴミも、はじめは躊躇するでしょうけど、自分の一部やと思えば、拾って捨てることもできます。