笑いには組織における「潤滑油」の機能がある。周囲をリラックスさせ、職場の雰囲気を和ませることは、仕事を進めるうえで有用だとされている。そのため、現代の会社組織では、「人を笑わせること」が、一種の能力として評価されるようになっているかもしれない。
私の専門分野の感情社会学の用語でいえば、人を笑わせる能力は「感情資本」のひとつだといえる。職場に引きつければ、円滑な人間関係を形成するためのコミュニケーション能力のことだ。「資本」と呼ぶのは、こうした能力は、親や家族環境から受け継ぐ要素が大きいと考えられるからだ。独学やセミナーなどでこの能力を学習することは難しい。だからこそ、人それぞれの感情のスタイルを「個性」と呼んでいたわけだろう。
だが現代社会では、この感情資本の「多寡」が問題とされる。たとえば就職活動において、かつて重要だった在学中の成績はいまや学生の関心外である。学生たちが気にするのは「面接官にどう思われるか」という点だ。実際に企業側も、面接などで学生の感情資本の多寡をチェックしている。最近では、SNSを通じて、学生の交友関係を調べる企業もあると聞く。
ドイツの社会学者ウルリッヒ・ベックは、自らが提唱するリスク社会論のなかで、なぜコミュニケーション能力が重視されるようになったかを考察している。ベックによれば、物事の決定や選択に大きな影響力を持っていた家族や教会、地域のコミュニティ、会社や労働組合といった組織が力を失い、個々人は自己責任のもと自分1人で意思決定をするよう、直接的に社会と繋がらざるをえない時代になった。このため職場という集団のなかでも、その都度の意思決定に向け、周囲との微妙な感情的やり取りをこなす高度なコミュニケーションが強いられるわけだ。
他方で、企業も従業員の「泣き笑い」に敏感になった。部下を強く叱ることは、ハラスメントだと言われかねない。飲み会や慰安旅行といった、人間関係の調整機能を担う祝祭的な場は減った。鬱病などメンタルヘルスの問題が注目されるなかで、ネガティブな感情は排除され、ポジティブな感情だけが称揚されるようになった。
感情的なコミュニケーションはそれぞれの文化的背景に応じて違う。その意味で、職場の「怖い人」とは、文化や世代でギャップのある人ではないだろうか。