僕がお笑いのネタを作るとき、みんながわかるようなことを題材にするんですけど、般若心経はそうではありません。みんなが知らないことをどうボケで伝えるか、というのは新しい試みでしたね。

例えば突拍子もない設定のコントの場合、変やけど、その中にみんなが「あるある」と感じることが入っているかどうかが鍵になります。だから、般若心経を読み解く過程でも「あるある」をたくさん入れたつもりです。それに、100年後でも内容が古くならないようにしたかった。だから、毛嫌いする人もいるけど、あえて「うんこ」を例えに出したりもしました。時事ネタと違って、古さを感じずに笑える単語と思ったからです。

僕自身は般若心経を心の支えにしているというよりは、一つの哲学や考え方として面白いな、というふうにとらえています。でも、般若心経をおまじないのような感覚で頼っている自分もいるんです。

例えば僕は飛行機がすごく怖いんですけど、飛行機に乗る前は、頭の中で般若心経を唱えないと気が済まない。唱えておくと「この飛行機は絶対に大丈夫や」って思えるんです。無事に着陸できたら、また般若心経を唱えとかんと申し訳ない。

僕らは漫才コンテストの「M-1グランプリ」に9年連続で決勝に進出したんですが、なかなか優勝できませんでした。

自分たちのネタが終わり、ほかの人がネタをやっているとき、頭の中で般若心経を唱えながら、「ウケんとってくれ~、滑ってくれ~!」と思ってました。でも、僕が般若心経を唱えることによって、「相手にご利益を与えてるんちゃうか?」と思ったりして。複雑な感情が入り交じってましたね(笑)。

結果発表の瞬間なんて、やっぱりすごくどきどきするわけです。このときも頭の中では般若心経がぐるぐると巡っていました。唱えていたら優勝できそうな気がするんです。でも、何回挑戦しても優勝できなかったんで、必ずしも役には立ってない。気休めですね。