シンデレラストーリーに騙されない

――堀江さんは、「挑戦」「努力」「成功」のサイクルで人は前に進んでいく、と書いていました。リスクを選んで踏み出し、そこで努力することで小さい成功を得る、そうしたらまた次の挑戦をする。選んだ場所で小さい成功を得られなかったら、やっぱり場所を変えたほうがいいんでしょうね。

【為末】僕は「試す」「学ぶ」「変える」のプロセスを何回も回すことが決断の精度を高めることにつながると思っています。レンジャーの人に聞いたのですが、山を登り始めた最初のうちは、ある道を進んでいるうちに、「この道はダメだな」というのが途中でわかって、そこから引き返しての連続だけれども、熟練していくと初めての道でもなんとなく「こっちの方向には進めなさそうだ」と予測がつくようになるらしいんです。間違った道を選んだ場合も、何キロも行かずに引き返す判断ができるようになる。こういう感覚がないと、延々と間違った方向に進んでいってしまいますよね。

でもときどき、こういう過程を踏まずにただがむしゃらにがんばって、あるときポーンと突き抜けるシンデレラみたいな人が出てくる。そういうシンデレラストーリーはメディアでも大きめに扱われるから、見ている人はそういうことってけっこうあるんだと誤解してしまうんですね。1万人のうち2人という成功確率であっても、5人に1人くらいはいけそうな感覚でとらえてしまう。

――成功しなかった9998人の話はなかったことになっていますからね。

【為末】成功確率がねじ曲がって認識されるんですね。『失敗の本質』(野中郁次郎ほか著)にもありますが、日本人の性質として「足りないリソースを気持ちで補う」というところがどうしてもあるように思います。「気持ちだけではどうしようもないことがある」と言える空気になってないと、戦略の話はできません。「このまま突き進んでも駄目だ」ということがタブー化されているとすると、「ここは撤退して態勢を立て直そう」とか「大事なリソースは次の勝負にとっておこう」という話にはならなくて、「ここを頑張り通せばなんとかなる」という精神論になってしまう。あるいは「結果を出してから言え」という話になると、社会から戦略的な思考が駆逐されていく感じがします。

僕は、努力することの尊さや、夢を追うことの素晴らしさを否定するつもりはないけれど、うまくいっていないのは努力が足りないからだという考え方は、人を追い詰めると思うんです。努力が足りないのではなく、やり方がまずいからではないのか、戦っている場所が間違っているのではないか、という発想の転換ができるようになれば、一度しかない人生をより満足のいくように生きられるのではないでしょうか。

『ゼロ-なにもない自分に小さなイチを足していく』(ダイヤモンド社)
[著]堀江 貴文 
 
『努力する人間になってはいけない』(ロゼッタストーン)
[著]芦田 宏直 
 
為末 大(ためすえ・だい)
1978年広島県生まれ。2001年エドモントン世界選手権および2005年ヘルシンキ世界選手権において、男子400メートルハードルで銅メダルを勝ち取る。陸上トラック種目の世界大会で日本人として初のメダル獲得者。シドニー、アテネ、北京と3度のオリンピックに出場。男子400メートルハードルの日本記録保持者(2013年5月現在)。2003年、大阪ガスを退社し、プロに転向。2012年、日本陸上共起選手権大会を最後に25年間の現役生活から引退。現在は、一般社団法人アスリート・ソサエティ(2010年設立)、為末大学(2012年開講)などを通じ、スポーツと社会、教育に関する活動を幅広く行っている。著書に『諦める力』、『走る哲学』、『決断という技術』などがある。 http://tamesue.jp
(聞き手=プレジデント書籍編集部 中嶋愛 撮影=大杉和広)
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