――目的をはっきりさせれば選択肢が見えてくるということですね。
【為末】そういうことです。どれだけ少ない努力量で目的を達成できるのかという考え方は、日本のスポーツの世界の常識から抜け落ちているように思います。いままで2時間かかっていたことが30分でできるようになれば、余った時間は別のことに使えるんです。でも、いかに少ない努力で大きな成果を出すかという効率を考えること自体、「怠け」ということと結び付けられたりして難しいですね。
――ずるいとか、手抜きだという感覚もありますね。ビジネスの世界でもさっさと仕事を片付けて早く帰る人が白い眼でみられたり。
【為末】「もったいない」という感覚もけっこうある気がしますね。時間が余るともったいないから埋めようとする。埋まるととりあえず落ち着くじゃないですか。でも、予定をいっぱいにして埋めることで生み出されているものが何なのかについてはあまり考えない。とにかく暇にしないことが安心につながる。そして周囲もそれを「がんばってるな」と評価したりする。日本って、成果を評価することがすごく苦手な社会なんじゃないかと思うことがあります。たとえば仕事の成果を測定してはっきりさせた結果、意味のない業務が出てきてしまうと角がたつところがありますよね。組織においてはいらない業務をやっている人をどうするかというのはなかなか悩ましい問題です。
――個人の場合でも何を成果とするかが自分でわかっていない場合は、成果と関係のないことに固執したりしますよね。
【為末】これだけがんばったんだから、これだけ時間をかけたんだから何かためになっているはずだ、という感覚ですね。自分が努力しているという実感が強いほど、取引の感覚がは強くなります。「こんなに苦しい思いを100もしたんだから、見返りが100あるだけでは足りない、120は返ってこないと割に合わない」と思ってしまう。それが返ってこなかったときに、恨みとか、憎しみみたいなものが内側にたまっていく。
好きなことを夢中でやっている人が有利なのは、「この努力が報われなくてもいい時期を過ごした」という思いがすでにある種の報酬になっていることです。努力が報われればベストですが、仮にそうならなくても「仲間と一緒に楽しくがんばれた時期があった」という納得感がある。
すべてをゴールで回収しようとすると、リターンがないものや、あるかどうかわからないというものに対して努力できない人たちが出てくるのではないかと思います。要はつぎ込んだ努力が確実に結果につながるようなものが出てくるまで待とうという発想になってチャレンジが減ってく。あるいは、チャレンジしても「成果が出ないと努力した分は損になる」という取引の感覚が消えないから見込みのない戦いをずるずる続けてしまう。