【大前】三浦さんとは、長い付き合いなのに、聞いたことがなかったんですけど、富士山を直滑降で下りたじゃないですか。三浦雄一郎が世界をビックリさせた最初のニュースですが、あれは何で思い付いたんですか?
【三浦】新幹線に初めて乗って、三島辺りで富士山が見えた。富士山は何度も滑っているけど、あれを直滑降したらカッコいいだろうが(笑)、「待てよ、どうやって止めるかな」と考えて、ノートを取り出して富士山をスキーで滑っている絵を書いていたら、パラシュートを付けたら面白いというアイデアが浮かんだ。大阪で講演があったんですが、終わってすぐに防衛庁(現防衛省)の航空装備研究所に相談に行ったら、「面白い」とパラシュートの設計に協力してくれたんです。
【大前】富士山直滑降のあとは、世界7大陸の最高峰からスキーで下りたいという夢をずっと持ち続けていらした。
【三浦】南極から含めたら、20年以上ですね。
【大前】南極が1番大変だったですか?
【三浦】行くのが大変でした。当時、ワーナー・ブラザーズの社長だったフランク・ウェルズやダラスの石油王のディック・バスと一緒にチームを組んでいたんですが、ウェルズというのは天才ですね。チリの海軍大臣と交渉して軍艦を我々のサポートに付けて、そこからヘリコプターで航空燃料をどんどん補給してもらった。おかげで行って帰ってこれたんです。
【大前】キリマンジャロには何度も行かれてますね。
【三浦】あそこは家族でね。豪太がまだ小学6年生の頃に、向こうに行けばキリンも象もいるような話をして連れていきました。キリマンジャロの山頂にキングソロモンの指輪が隠されているという伝説があって、「もしおまえが発見したら、世界で1番有名な小学生だ」とけしかけた。本人もその気になって頂上で石をひっくり返していました(笑)。