「回り道」をしたから、あの苦行ができた
自信を持つには、何でもこつこつ一生懸命に続けることだ。たとえば本を書く人なら、自分なりのやり方で、一生懸命に書き続けていく。そのうちに自分の気持ちと筆とが一致するときがくるんじゃないのかな。
外面だけを見て、データを切り貼りしたような本もあるけれど、そこには心が入っていないよね。逆に、自分の中から一生懸命言葉をつむぎだしていくなら、途中で失敗して苦しんだとしても、そのときの気持ちが入ってくるから、すばらしい作品ができると思うんだ。
僕の場合は、40歳でお坊さんになったでしょう。千日回峰行を始めたのも50歳近くになってから。あのころ、50歳といったら隠居するような年ですよ。だから自分は剣が峰に立たされていると感じていた。ここで失敗したら、ゼロになっちゃうという気持ちだよ。
とくに千日回峰行というのは「不退行」だから、後戻りは許されない。獅子の仔が千尋の谷へ突き落とされるのと同じで、いったん行に入ったら助けてもらえない。どんなことがあっても、ぐいっと爪を立てて山を登っていかなければならないんだ。断食・断水の「堂入り」のときなんか、4日目くらいになると自分の体から死臭が漂うのがわかるんだよ。それでも真言を唱えながらひたすら耐える。
それは、自分というものを信じなければできないことだ。信じることができなければ、途中で「いい加減にやめておこう」「こんなにおいしいものがあるんだから、あっちに寄っていこう」と気持ちがくじけてしまう。「自分はこれでいく。やり遂げるんだ」という強い意気地を持つことが大切なんだよ。
強い気持ちを持つには、人生を大局的に見ることだ。あらかじめ自分の生涯の路線を決めておく。そうすると、まわりの小さな利益とか細かな問題は放っておいてもいいんだからね。