草履は1日1足を履き潰す。本堂裏に2000足分が吊るしてあったが、信者が貰い受けるので少なくなった。

僕にとっては行の道が生涯の路線だったわけだけど、ここへくるまでは失敗の連続だったんだ。大学図書館に勤めれば途中で投げ出す、セールスマンやラーメン屋、株屋をやってもうまくいかない。結婚してもすぐに女房に死なれちゃってね。だけど、いまやっていることだけは自分に適していたと思うんだ。俗っぽい言葉でいうと、ここがいちばん「住みいい」ところだったんだ。

そういうと、最初からお寺に来ていたらよかったと思うじゃない。でも、回り道をしてきた甲斐もあるんだよ。普通のお坊さんなら15歳くらいで寺へ来る。僕が回り道をしないで、若いころにこの道へ入っていたらどうだろう。住職になったらそれで満足して、千日回峰行はしなかったかもしれないな。

僕は外の世界を知っていて、しかも失敗ばかりしていたから、よけいに山の「住みいい」ことがわかるんだ。池の鯉だって、ただ泳いでいるうちは水の楽しさやありがたさはわからない。陸に引き揚げられてはじめて、水のよさがわかるんじゃないの。それと同じだと思うんだ。

もしかしたら、仏さんが上のほうから僕のことを眺めていて、「こいつは何やらしても駄目だから、仏の仕事に携わらせてやろう」とお考えになったのかもしれないね。かといって、若いうちに仏さまの知識を授けおくと、険しい修行に向かわず、お寺の経営とか仏典研究とか別の道へいってしまうかもしれないじゃない。それで、知識がゼロのままいきなり剣が峰に立たせて、行をはじめるしかないところへ引っ張ってきてくれたのかもしれないと思うんだよ。

お坊さんにならなくても、都会でばりばり仕事をしていた人が、ある日突然、信州の山奥で農家仕事をはじめるということもあるんだよ。その人に聞いてみたら、電気もないような暮らしだけれど、とても楽しいというんだな。都会にはもう未練はない。「住みいい」ところに来ることができて、いまが一番幸せという。

そういうものかもしれないな。

天台宗大阿闍梨 酒井雄哉
1926年、大阪府生まれ。慶應義塾商業学校を経て熊本県人吉の予科練に志願。鹿児島県鹿屋の特攻隊基地で終戦を迎える。戦後は職を転々とし、妻の自殺をきっかけに40歳のときに仏門へ。「千日回峰行」を2度も満行。『一日一生』『この世で大切なものってなんですか』(共著)など著書多数。
(構成=面澤淳市(プレジデント編集部) 撮影=芳地博之 写真提供(玉体杉)=井之上三郎)
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