「とてもきれいな本だわね。でも——」

最初につくった本は、アメリカの作家・マラマッドの『レンブラントの帽子』という短編集である。一編の詩の本もつくりはじめていたが、なかなか、製作がうまくいかなかった(それは2011年の1月に『さよならのあとで』というタイトルで刊行した)。『レンブラントの帽子』は1975年に集英社から出ていた本で、ぼくは著者の遺族や翻訳者たちと手紙やメールなどで交渉し、復刊を許可してもらった。作家志望のころに、この小説を読んで、ぼくは胸を打たれていたのである。

本をつくりながら、さっそく、いろんな本屋さんを営業してまわった。店頭でとても冷たいことを言われたこともあったし、涙が出そうなくらいうれしいことを言われたこともあった。合計で、100店くらいはまわったと思う。そのなかで、さまざまな本屋さんのあることが、よくわかった。

もちろん、子どものころから、本屋さんが大好きだった。昔から、1週間も本屋さんに行っていないと、落ち着きがなくなって、なんというか、禁断症状のようなものが出た。幸いなことに、ぼくが住んでいたところは、自転車で通える距離に10軒以上の本屋さんがあったので、幼いながら、あの本を探すのならあの店、この本を探すのならこの店、というふうに決めて、毎日のように本屋さんに通っていた。

営業に行き始めたときも、まず、自分の通っていた本屋さんのことが念頭にあった。

けれど、いちばん大好きだったお店は、ぼくが大学生のころに潰れてしまっていた。岩波文庫などを買っていた本屋さんは、3年前に携帯ショップに変わっていた。さらに、学生のころヘーゲルの『精神現象学』などを買った、人文書に力を入れていた本屋さんも、半年前に突然お店をたたんでいた。これらは、すべて世田谷の住宅街にあったお店である。

けれど、一店舗だけ、まだあった。10坪の店内に、チェーホフ全集をはじめとする海外文学を並べる、A書店である。

ぼくは大学を卒業してすぐのころ、このお店で、金子光晴の『絶望の精神史』を買った。なけなしのお金で、さんざん迷って、レジにこの本を持っていくと、帳場に座っていたおばあちゃんは、ぼくに、「あなた、いい本買うわね」と言ってくれた。

うれしくて、顔が真っ赤になった。ぼくはなにも言葉を返すことができず、そそくさと本を持って、店を出た。

つまらない、才能のない小説を書き、夜になると鬱屈した感情を持ち歩いたまま、本屋さんをさまよい歩いていたぼくに、この言葉が、どんなに響いたことか。

小説はほめられたことがなかったから、せめて、買う本のチョイスだけでもほめられたかったのだ。

ようやく刷り上がった『レンブラントの帽子』を持って、ぼくは、久しぶりにA書店に行った。

「こんな本をつくったんですよ」とおばあちゃんにほめてもらいたかったのである。そして、できれば、「あのとき、いい本買うわねと言ってくれたことを覚えていますか? ぼくはあの言葉がうれしくて、それからもたくさん本を買ったんですよ」と伝えたかったのである。

おばあちゃんは、10年前のときとまったく同じに、帳場に座っていた。

けれど、店奥の自慢の海外文学棚は、しばらく見ぬうちに、半分以上が姿を消していた。代わりになにか違う本がが入っていたというのではない。ただ、棚がスカスカになっていたのである。

それでも、ぼくは、おばあちゃんに『レンブラントの帽子』を見せて、「こんな本をつくったんです。置いていただけないでしょうか?」と切り出した。

にっこりと笑ったおばあちゃんは、「とてもきれいな本だわね。でも、うちにはもうこういう本を置いておく余裕がないの」と言った。

『レンブラントの帽子
 バーナード・マラマッド
[訳]小島 信夫,浜本 武雄,井上 健治/夏葉社
『精神現象学

 G.W.F. ヘーゲル/[訳]長谷川 宏作品社
『絶望の精神史

 金子 光晴/講談社

●次回予告
『本屋図鑑』には47都道府県すべて、少なくとも1軒の本屋が登場する。全国の本屋を回った島田さんは「毎日6時間くらい、電車に乗っていた」。紀州の町の本屋で島田さんは考える。この町で育った作家のこと。素敵な本屋がある町は何が違うのかということ。そして、電車に乗りっぱなしの自分のお尻が痛いのはなぜかということ。次回《「山に囲まれた海辺の町」の本屋》。7月28日(日)公開予定。

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