※本稿は、永井康徳『後悔しないお別れのために33の大切なこと』(主婦の友社)の一部を再編集したものです。
死を怖がらない人もいる
在宅医療の専門家として、たくさんの講演会で話しています。看取りについてのことが多いのですが、会場にいらっしゃっている皆さんに「このなかで、例えば今日、明日、寝ている間に死んでもいいと思ったことがある人はいますか?」と質問して、そう思う人に手を挙げてもらうことがあります。
すると、必ず何人かは手を挙げられます。「もう十分生きました」とか「明日死んでも思い残すことはありません」という人が必ずいるのです。
年齢によるとは思いますが、それまでの人生を自分の思うように、やれるだけ生きて満足している人は、死ぬことが怖くないのでしょう。そう思える人は、想像しているよりたくさんいるのかもしれません。特に、年齢を重ねて老いてくると、死を近く感じるようになってきますから。
では、後悔のない、怖くない死とはどのようなものでしょうか? 天寿をまっとうして安らかな死を迎えることを大往生といいます。沖縄のある離島では、老衰で亡くなると「大往生できた」と赤飯を炊いてお祝いするそうです。この島では高齢者を自宅で看取ることが多いとのこと。天寿をまっとうした死を肯定的に受け入れる考え方が、脈々と受け継がれているのでしょう。それが文化として根づいていることが、自宅での看取りの多さに関係しているのかもしれません。
最期の入浴
100歳の女性の患者さんは訪問入浴をとても楽しみにしていました。実は、たんぽぽクリニックに転院されたのは、それまでの主治医から入浴の許可がおりなかったことが理由でした。それくらいお風呂が大好きだったのです。
入浴中は室温や血圧の変化が大きく、体調の急変が起こりえます。十分に気をつける必要はありますが、「お風呂に入りたい」という希望をかなえることも大切です。
高齢で寝たきりではありますが、血圧や体調が安定していて、本人の意思表示もしっかりできています。私は「入浴してもいいですよ」とお伝えして、希望どおり訪問入浴を体験されました。ゆったりと湯船につかり、とても喜んでいたそうです。
穏やかな日々を過ごされていましたが、老衰で徐々に食事がとれなくなり、いつ亡くなってもおかしくない状態になったとき、家族から「先生、今日はお風呂の日です。本人はいつも楽しみにしていました。最期にお風呂に入れてあげたいんです」とお願いされました。私は一瞬躊躇しましたが、入浴中に亡くなる可能性も説明し、それでもと笑顔でおっしゃるので、訪問入浴業者の方に事情を説明して訪問入浴を手配しました。
残り時間が少ないときにリスクがあることをすべて禁止するのか、患者さんや家族の望みをかなえるのか……。あなたならどのような最期を迎えたいですか?

