「自分たちが通信を守る」ミッションを再確認
とりわけ東日本大震災では、携帯や固定電話が不通になるとか、広い範囲で連絡が途絶するといった異常な事態が発生した。われわれはすぐさま、西日本各地から東北地方へ延べ2000人におよぶ応援部隊を編成して送り出した。うれしいことに、この部隊には入社2、3年の若手や新人たちも多数志願してくれた。
それだけではない。西日本各地の現場では、大地震の一報が入った時点で停電時に使う移動電源車や、パラボラアンテナつきのポータブル衛星機器のスタンバイを始めていた。
地震発生は金曜日の午後3時近く。通常なら3時間もしたら終業時刻となり、帰宅してしまうところである。だが、移動電源車やポータブル衛星機器を扱うベテラン担当者は、阪神・淡路大震災を大きく上回る被害状況をテレビ報道などで確かめて、いつでも出動できるようにガソリンの給油や機器の整備を始めていた。
結果的に正式な出動命令を下したのは当日の夜になってからだが、現場はその間、じりじりしながら待っていたという。そのとき彼らの心にあったのは「自分たちが通信を守る」という強い自負である。
大きかったのは17年前の阪神・淡路大震災の経験だ。被災地は補給路が断たれているので、さまざまな必要物資を持参しなければならない。彼らは手に入る数日分の食料や防寒具を積み込んで、陸路やときには海路を使いながら東北の被災地へ向かったのである。
西日本はもともと、東に比べて台風による水害などが発生しやすい土地柄だ。そのため、災害時の対応にはいくらか長けているところがあるが、阪神・淡路大震災のときに助けてもらった恩を返したいという動機も小さくはなかった。そういったことを先輩から後輩へと受け継ぐ中で、ミッションを大事にするという資質が花開いたのだ。