大物との飲み会でチャンスを得た女性もいる
もちろん、すべての飲み会を否定するわけではない。
とある地方局の女性アナウンサーは、某男性大物タレントとの飲み会に同席したことがあるという。その地方局の特番に男性タレントが出演した日の夜に、局の上層部の指示により、同席を命じられたのだ。ここまでは、フジテレビ・中居問題の構造と変わらない。キー局に比べて、大物タレントとの接点の少ない地方局の“全力の接待”に巻き込まれた形である。
だが、彼女は「とても楽しかったです」と語る。男性タレントはとても紳士的で、場を盛り上げてくれた上に、女性アナウンサーの趣味などを深く聞き出し、キャラクターの売り出し方まで真剣に考えてくれたという。さらに、自身のSNSに、女性アナウンサーを載せてくれて、彼女は強い感謝の念を抱いたという。
彼女にとっては、大物タレントとの飲み会が楽しく、さらにある種の“チャンス”として機能したのだ。
変わるべきは「権力を持っているすべての人間」
ここまで読んで「この筆者は飲み会を悪としているのか善としているのか?」とわからなくなっている人もいるかもしれない。
結局はケースバイケースになってしまうからこそ難しい。「すべての飲み会は悪」と主語を大きくしてしまっても、ズレが出てしまう。悪いのは飲み会ではない。悪を生み出すのは参加する個人、しかも権力を持った側の個人の意識である。今回の問題への世間の反応を見ても、ハラスメントに対する嫌悪感は強まっており、その境界線も時代とともに変化していることを感じられる。だが結局は、権力を持っている側の意識の変化に頼らざるを得ないところが、この問題の解決を難しくしている。
先の「Mr.サンデー」では、「フジテレビは変われると思いますか?」と視聴者アンケートを実施。結果は「変われる」が22%、「変われない」が78%だった。これも、いくら視聴者の側の意識が変化したところで、総務省から放送免許を与えられたテレビ局の上層部の社員という“特権階級側”が変わらなければ何も変わらないという厭世観の表れだろう。
被害にあったとされる女性アナウンサーは、第三者委員会の報告を受け、こうコメントを出している。
「このようなことがメディア・エンターテインメント業界だけでなく、社会全体から無くなることを心から望みます」
先に変われるのはメディア・エンターテインメント業界なのか。それとも、それ以外の業界なのか。すべての権力側の人間に、その覚悟が問われている。