「性暴力」以外にも女性の搾取は存在する
タレントに対しては、局側はギャラというかたちでお金を支払う側である。だが、スポンサーにはお金を貰う側である。今回、フジテレビがスポンサーに出稿を控えられて危機に陥っているように、スポンサーからのお金は局の生命線である。視聴率の取れるタレントを起用するのも、最終的にはスポンサーにお金を払ってもらうためと言ってもいい。
だからこそ、そのスポンサーのご機嫌をとるために、局側は女性アナウンサーを同席させる飲み会を開く。それは、スポンサーからの直接的な指示があったにしろ、局側の忖度だったにしろ、金を払う側と受け取る側という絶対的な権力勾配によって起きるものである。
組織という規模で見ても権力勾配のある両者の集う場で、いち社員である女性アナウンサーがその勾配に従った行動を取らざるを得ないのは、想像に難くない。性暴力のようなことが起きなかったとしても、それは、女性として搾取されているということにならないだろうか。精神的に疲労することは「それも会社員の業務」として受け入れるべきなのだろうか。
今回、世間の大半は、女性アナウンサーに同情的な視点を持っているはずだ。職種は違えど、同じ会社員として、本意ではない飲み会に出席させられたことのある女性は、その葛藤に共感する人も多いだろう。また、先の例のように、上司からの命令で、自分の近くにいる女性を、そのような要員として“派遣”せざるを得ず、忸怩たる思いをしてきた男性もいることだろう。
「嫌なら行かなければいい」の危うさ
だが、特筆すべきは、同じ境遇にあるはずの女性アナウンサーたち自身が、100%同情的ではないことである。
例えば、元フジテレビアナウンサーの長野智子は4月6日に放送された「Mr.サンデー」で「私、嫌だったら行かないと思うんですけど」と発言。「有名人とか政治家とか、そういう方と太いパイプを持っている方が評価される空気があった」と社内の様子を描写した上で「そういうことをことさら気にする人は、断りにくいと思ったのかもしれません」と述べた。まるで女性アナウンサーが、出世のために自ら好んで会に参加したような口ぶりで、二次加害性をもつものだ。
「ほとんどの人(アナウンサー)たちは真面目に、本当に真摯に、そういう事にイエス・ノーもきちんと言えてきちんとやっている」とも発言しており、そこには「太いパイプを作れるかどうかと危険性を天秤にかけ、その構造を利用するかどうかは自分次第」といった価値観まで読みとれる。裏を返せば、大先輩がこのような意識を持っていれば、飲み会を断る若手は、“仕事にやる気のない人間”とも見なされかねない。