“普通は”にひそむ落とし穴

先日、企業のプレゼン研修プログラム監修のお話をいただいた。こちらから予算を提示して、万が一折り合いがつかないときにはお話は流れるとのことで、内容についてうかがった後、「見積もりをいただきたい」と告げられた。

なるほど、金額が折り合わねば……、とのことなので「フォーマットがあればそれに従って起票し、なければこのくらいで」と返させていただくと、私にとっては意外な返事が返ってきた。

「内容構成はないのでしょうか。“見積もり”ですから、“当然”内容構成も必要です」

同様の経験をお持ちの方も多いだろうが、そこには互いに解釈の齟齬があった。その企業やその人にとっては「見積もり=全体構成書+予算」を意味したようだが、私の頭に浮んだ「見積もり」は、予算のみ。私たちの仕事では“通常”、全体の概要を作るときには「企画原案」「プレゼン資料」「概要書」をつくる、のように言うからだ。

両者の立場からすれば、どちらの捉え方もありえるし、良し悪しの問題ではない。ここでの落とし穴は、私が考えた“通常”にあるようだ。