職場の人間関係がうまくいっていない。
上司・部下とどう接すればいいか
組織も1つの体と同じである。それぞれに役割がある。誰かの役割を軽んじることはできない。そう思えば、役割に軽重があるとは考えなくなるだろう。
組織内の人間関係においては、それぞれの役割の重要性を理解して相手を重んじること。そして相手の瑣末なクセや性癖にとらわれることなく、組織として一体となれるよう、つながりをはかっていかなければならない。
上司や部下とどう接するべきか。新約聖書の「ローマ人への手紙」にこんな言葉がある。
「どんな人に対しても、悪に悪を返さぬように。悪を受けても善を返してあげるように」(ローマ人への手紙 第12章)「もうやめなさい、互いに裁くのは」(ローマ人への手紙 第14章)
怒りは一切を破壊する。正確な批判ではなく、そこに相手への侮蔑が一滴でも含まれていれば、数十年の友情でさえ破壊されてしまう。
なぜ怒るのかといえば、「相手が悪い」という判断を下してしまうからだ。
しかし、果たして相手こそ悪いと裁いていいのだろうか。自分が相手のすべてを知っていて、神のように裁く権利があると思っていいのだろうか。
相手に対して感情的に悪を返すだけならば、状況は悪化する一方である。必要なのは、相手も自分も今の状態から、よりいい方向に変わることだ。そのための一手は、自分から進んで優しさを与えることである。
聖書の言葉
体には頭、手、足、それぞれの
ものがある。それぞれが
ばらばらなのではなく、
それらすべてで1つの体となる。
だから、頭が足に向かって、
あるいは手が尻に向かって、
おまえが必要ではないと
言うことなどできない。
弱い部分、劣っているように
見える部分こそ体にとって必要なのだ。
そして、体には切れ目などない。
みな緊密につながっている。
それゆえに体は1つなのだ。
コリント人への第一の手紙 第12章
体には頭、手、足、それぞれの
ものがある。それぞれが
ばらばらなのではなく、
それらすべてで1つの体となる。
だから、頭が足に向かって、
あるいは手が尻に向かって、
おまえが必要ではないと
言うことなどできない。
弱い部分、劣っているように
見える部分こそ体にとって必要なのだ。
そして、体には切れ目などない。
みな緊密につながっている。
それゆえに体は1つなのだ。
コリント人への第一の手紙 第12章
※フェデリコ・バルバロ訳『聖書』に準拠
作家 白取春彦
青森県青森市生まれ。ベルリン自由大学で哲学・宗教・文学を学ぶ。哲学と宗教に関する解説書の明快さには定評がある。著書に『超訳聖書の言葉』『超訳 ニーチェの言葉』『この一冊で「聖書」がわかる!』などがある。
青森県青森市生まれ。ベルリン自由大学で哲学・宗教・文学を学ぶ。哲学と宗教に関する解説書の明快さには定評がある。著書に『超訳聖書の言葉』『超訳 ニーチェの言葉』『この一冊で「聖書」がわかる!』などがある。
(小川 剛=構成 小原孝博=撮影)