中国政府の詭弁

2006年はモンゴル帝国成立800周年でした。モンゴル国では大々的に祝っていましたが、中国のモンゴル人が祝うのは禁じられました。またモンゴル文化ではなく、草原文化と言うように強制されました。やがて草原文化もダメになり、いまは北疆文化と呼ぶように決められています。

日本人が天皇を精神の拠り所にするように、私たちモンゴル人のアイデンティティを支える誇りがチンギス・ハンであり、チンギス・ハンが築いたモンゴル帝国です。私たちの英雄が、中国人だとされるのは、本当に悔しいし、許しがたい。

では、中国の見解として、南モンゴルの北にモンゴル国が独立しているのはどう考えているのか。中国では、帝政ロシアと日本、そして悪いモンゴル人が、善良なモンゴル人をたぶらかして、中華民族の族群であるモンゴル人を分断し、独立させたという歴史になっています。

――中国の政治家や官僚は、一般的な世界史を理解しながらも、国民には政府の公式見解を教えているわけですね。

その文脈で注目したいのが、1990年代後半にアメリカのハーバード大学のマーク・エリオットが提唱した「新清史」です。「新清史」とは、清朝を中国史の枠組みではなく、満洲語やモンゴル語、チベット語、チュルク語などの一次資料を読み直し、「清朝=ユーラシアの帝国」として再評価すべきだとする概念です。

「正しい歴史」を消すために弾圧を強める

当初、漢人の研究者にも「新清史」は歓迎されました。なかには、満洲語やモンゴル語を学ぼうとした研究者もいました。しかし2000年代に入り、中国国内で猛烈な「新清史」批判キャンペーンが起こりました。我々を滅ぼそうとするアメリカ帝国主義の学者による野心的な歴史観だ、と。

ただ、批判にたずさわった漢人の研究者は今も内心では「新清史」こそが、真実の歴史だと思っているはずです。

「新清史」の原形となったのが、日本人学者による研究です。東洋史学者の岡田英弘さんの『世界史の誕生』では世界史のはじまりをモンゴル帝国によるヨーロッパや中国との接触に求めています。また、歴史学者でモンゴル帝国史を研究した杉山正明さんの一連の著作も大きく影響を与えています。

最近失脚しつつありますが、おう岐山きざんという習近平の盟友がいます。2015年、当時は事実上のナンバー2だった彼は岡田さんの『世界史の誕生』や杉山さんの著作を読んだと語っています。

2019年10月23日、安倍首相と中国の王岐山国家副主席との二国間会談
2019年10月23日、安倍首相と中国の王岐山国家副主席の会談(写真=内閣官房内閣広報室/CC-BY-4.0/Wikimedia Commons

その話を聞いた岡田さんの関係者は純粋に喜んでいましたが、私はマズいな、と感じました。

というのも、中国の公式見解や大漢民族主義とはそぐわない「新清史」のような歴史観を打ち消すために、少数民族政策に落とし込まれる危険性を孕んでいるからです。