人間の消費行動はどのように変化しているのか。青山学院大学教授の久保田進彦さんは「現代は日々新商品が生まれ、物の寿命が短命化している。そのため、人は自分にとって魅力的な新製品を見つけたとき、それまで使っていた物を手放す罪悪感を正当化する行動をとろうとする」という――。

※本稿は、久保田進彦『リキッド消費とは何か』(新潮新書)の一部を再編集したものです。

割れたスマートフォンの画面を眺める人
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「コマ切れ社会」で複数の顔を使い分ける現代人

現代人の生活は、仕事、家庭、友人関係、ネットなど、複数の異なる場面から構成されています。そして、それぞれの場面で相手も話題も変わります。「お仕事モード」「趣味モード」などの表現がよく使われるように、私たちは「コマ切れ社会」のなかで生活をしています。また、たいがいの人は、それぞれの場面に応じて複数の顔を持っています。相手に応じて、異なる自分を使い分けている人も多いでしょう。

仕事をしているとき、友人と会っているとき、趣味に打ち込んでいるとき、あるいは家族とくつろいでいるときなど、それぞれの場面で大切だと思うことが変化します。何が好ましく、何が好ましくないかという価値観も場面ごとに変わります。結果として、価値が文脈特定的となります。

価値が文脈特定的になれば、消費行動もそれに応じて変化します。その場に応じて次から次へとテンポよく楽しむ消費をイメージするとわかりやすいでしょう。この傾向が強まると、価値の寿命は短くなり、個々の製品やサービスの陳腐化も早まります。

購買行動に「コスパ」を求めるように

短命性は、リキッド・モダニティ(物事や人間関係が不安定・不確実なものになった社会)の特徴の1つである道具的合理性によって、さらに拍車がかかります。道具的合理性とは、生活のなかでとりくむべき問題を明確にして、もっとも効率的あるいは費用対効果的なかたちで問題解決に取り組むことでした。つまり合理的で実利志向的な行動を好むことといえるでしょう。

私たちの購買行動が、合理的で実利志向的な傾向を強めてきたことは、「コスパ」という言葉をよく耳にするようになったことからも確認できます。ご存知のように、「コスパ」は、コスト・パフォーマンスの俗語であり、投入される費用や労力とそれによって得られる成果や満足の割合を意味します。「コスパ」という言葉は、2010年代からよく使われるようになりました。