言葉で表現する女性が「喋る」から「書く」へ場を移す

PTSD発症、入退院、そして生活を立て直す過程では、友人に野山に連れ出してもらえたことが助けになったと書かれている。アースカラーを基調としたコーディネートや、緑豊かな環境での写真は、回復に必要だった「自然」を表現しているようだ。

このように、グラビアといっても、セクシャルなものというよりエッセイの内容をふまえた補完的なものとなっている。

もともと言葉で表現することに生きがいを感じていた女性が、仕事に身を捧げた結果、大きな傷を受け、組織に絶望し、しかし信頼できる医師と出会い、適切な治療で回復し、それを語ることを決意する。その過程をふまえたスタイリングになっているのだ。

6月の出来事で解離、めまい、拒食…7月には入院

2023年6月の「トラウマ体験」のあと、渡邊さんはプライベートでは友人女性や知人女性にすぐ被害を話し、状況を受け止めてもらっている。そのまま勤務を続けようとするが、仕事中にも「解離」の症状が始まり、自分自身をふっと遠く感じるような瞬間が増えてくる。

アナウンス中にまっすぐ立っていられなくなり、食べ物も受けつけず体重が激減、栄養失調のために入院を余儀なくされる。

当時の渡邊さんの病室での写真がインスタグラムに残っている。やつれた顔は、「トラウマ体験」前の2023年4月、5月の頃とはもはや別人である。

だが、その入院中の写真1枚で、例えばYahoo!ニュースのコメントには「病気で入院していた時から心身の状況をSNSで発信してきたのですから、並大抵の自己顕示欲の強さではないように見受けます」と書かれてしまっている。

入院当時の気持ちを渡邊さんはこうつづる。

「未来が不安になった。これまで大事にしてきたものが手のひらからこぼれ落ちていく悲しみ(……)すべての時間を仕事に費やしてきたつもりだった」

この心境は、過労による燃え尽き症候群やうつ病での休職を余儀なくされた人、またそういう状況を見かけたことのある人なら、よく理解できるのではないだろうか。

だが、渡邊さんがフジテレビの女性アナウンサーとしてかなり特殊な環境に置かれていたように思わされるのは、ここに続く箇所だ。