「他人に期待しない」は冷たい態度ではない

大事なのは、他人に過度な期待を寄せないこと。

他人は必ずしも自分の思い通りに動いてくれる存在ではないのだと意識しておくこと。

そして、目に見える相手の一面だけが、その人のすべてなのだと思い込まないこと。

「他人に期待しない」というと、少し冷たい態度であるかのように感じる人も多いかもしれないが、決してそんなことはない。

「期待しない」とは、独りよがりな理想を相手に押し付けることをやめ、あるがままの相手の姿を認めるということ。

どんな相手の姿もその人の一面なのだと受け入れて、フラットな目線で人と接するということだ。

そのようにして、あるがままの相手の姿を否定せず受容する心の在り方こそが、本当の意味での「人を信じる」ということなのではないだろうか。

ただ、誰に対してもそんな仏のような心の在り方を貫けというのも、また難しい話だろう。

実際、誰もが自分の気持ちを尊重してくれるわけではない。

中には平気で他人を傷つける人もいるし、他人の気持ちをまるで考えていない人もいる。

だからこそ、きちんと他人の気持ちを理解しようと寄り添ってくれる人は、きっと誰よりも優しい心の持ち主なのだと僕は思う。

心の底から信じたいと思えるような人との出会いを大切にしていきたい。

理不尽な怒りに、トイレでひっそりと涙をながした日

世の中には、理不尽な怒りをぶつけてくる大人が少なからず存在する。

「わからないことがあったらすぐに聞いてね」と言ってくれたはずなのに、いざ質問をすると「ちょっとは自分で考えろ」と言ってきたり。

そのくせ、いざ自分で考えてミスをすると、「使えないな」「もっと頭使えよ」と責め立ててきたり。

納得がいかない不合理に、心をぐちゃぐちゃにかき乱されて、これって自分が悪いのかなと思ってしまう。

しかし実際は、怒られる自分が悪いわけではなく、理不尽な怒りをぶつけてくる人の精神が未熟なだけである場合がほとんどである。

だから誰かに理不尽な怒りをぶつけられたときには、口頭で謝っても、あなたの心の中でまでも謝らなくたっていい。

僕が居酒屋でアルバイトをしていたとき、つねにピリピリしていて周囲に不機嫌をまき散らす先輩がいた。

些細ささいなミスをしただけでも大声で名前を呼ばれ、「こんなこともできねえのかよ!」と責められる。

忙しい時間帯になるとイライラをあらわにし、「やる気あんのか!」「やめちまえよ!」と怒鳴られた。

僕はその人から怒りの矛先を向けられるたびに、誰もいないトイレに駆け込み、人知れずひっそりと涙をながした。