「ま」の会に注入するもの

私が代表取締役を務める株式会社BBT(ビジネス・ブレイクスルー)を設立した1998年の段階では、一新塾もBBTの事業の一部だった。しかし、BBTは上場を目指していたので(2005年5月東証マザーズ上場。BBTについては連載64回目で触れる)、選挙や政治に結びつくセクションを内側に抱えているのは適切ではない。

そうした判断から一新塾を切り離すことにした。私はファウンダー(創設者)としては残るが、経営と運営には直接タッチしない。塾は事務局長と代表理事が中心となって運営し、引き続き、道州制など私が提言してきた政策の実現、平成維新の実現を目指して、市民運動を続けていく。

ということで2003年1月に一新塾は NPO法人格を取得、特定非営利活動法人として独立し、現在に至っている。2004年以降は、「主体的市民憲章」を理念に掲げ、政策提言、社会企業、市民プロジェクトという3つのコースで新しい日本を創造するネクストリーダーの養成に力を注いできた。

2013年春までに約4500人が卒塾して、一新塾出身の現職国会議員は6名、自治体首長は7名、地方議員は90名、社会起業家は120名を数える。

私はファウンダーとして名前を残しているだけで、塾に顔を出すことはない。教材のビデオに登場したり、十周年のような区切りに呼ばれてスピーチをするくらいだ。

プライベートでは平成維新の会の事務局や一新塾の出身で議員や首長をやっている連中とは今でも付き合いがあって、2か月に1度くらい集まって飲む。

通称、「『ま』の会」という。

大前、長嶋(昭久、平成維新の事務局OB、民主党衆議院議員)、田嶋(要、一新塾11期生、民主党衆議院議員)、長妻(昭、平成維新の会事務局OB、民主党衆議院議員)、風間(直樹、平成維新の会事務局OB、民主党参議院議員)、山野(之義、金沢市長)、 熊谷(俊人、18期生、千葉市長)、それに事務局長の森嶋伸夫ら、どういうわけか全員姓に「ま」がつくからだ。ちなみに「ま」が付かなくても、面白いヤツは入れることにしている。

酒飲み話をしていると、「思い出しました、あの頃を」と歌謡曲の歌詞みたいなことをいう。いずれ劣らぬ揮発性メモリーの持ち主だから、ときどき大前節を注入して平成維新の原点を思い出してもらうのだ。

一新塾の代表理事で事務局長の森嶋伸夫とは定期的に連絡を取っていて、「政治塾にはなるな」と釘を刺している。

政治家になる早道と勘違いされるのは困る。目標としているのはあくまで平成維新の実現であり、啓発された市民を一人でも多く輩出することだ。

それを忘れずに活動を続けて欲しいと思っている。

■一新塾
http://www.isshinjuku.com/

(次回は「人を創る仕事[2]」。4月8日更新予定)

(小川 剛=インタビュー・構成)