三日月や鹿、六文銭に込められた意味
自己顕示欲丸出しに見える派手な甲冑も、同様に武将の祈りが込められていたケースが多い。たとえば加藤清正の「長烏帽子兜」。いわばヨーロッパ由来の「桃形兜」を後ろ上方に向けて、長烏帽子状に思いきり伸ばしたもので、銀箔が貼られている。かなりインパクトが強い派手な兜だが、この正面には数百枚の紙を貼り合わせ、清正が自筆で「南無妙法蓮華経」と書いていたという。
伊達政宗が着用した「黒漆五枚胴具足」も有名だ。兜には左右非対称の三日月形をした巨大な「前立」がつけられている。これは戦国武将のあいだに流行した妙見信仰を表しているとされる。すなわち、天空から人を見守って運命を左右する妙見菩薩に、この前立を通じて武運を祈願していたのである。
最後に大坂冬の陣で戦死した真田信繁(幸村)を挙げる。彼の兜は前立に鹿の角が飾られているが、これには意味がある。古来、鹿は神の使いとされ、そこに武運を託していたものと思われる。一方、六文銭、すなわち6枚のコインは死への覚悟であったと思われる。三途の川の渡し賃として棺桶に六文銭を投げ込む、という慣習から、死を賭して戦う意思を示していたのだろう。
武将たちは思いきり自己主張しながらも、こうしてさまざまな祈りを甲冑に込めていたのである。